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2006年 03月 04日 ( 1 )

さあ 世界史を語ろう。 第248回 年金受給者アドルフ・ヒトラー

 ヒトラーの父親、アロイスは税関職員を40年間勤めた後、退職して、その後は恩給で生活していたという。この場合、恩給とは、今日の公的年金でいえば退職共済年金ということであろう。そして、このアロイスが亡くなった後、妻のクララには夫アロイスの恩給の半分が支給されたということであるから、これはいわば遺族共済年金に当たるといえよう。その場合、アドルフや妹がいたのであるから、加算部分も含まれていたとみなせよう。そして、このクララも亡くなるのであるが、恩給としての遺族共済年金はその子のアドルフや妹に受け継がれたと思われる。これは、共済年金の受給権の順位で言えば同順位者へ移ったということであるから、転給ではない。
 いずれにしても、アドルフはなおも、孤児恩給という名の遺族共済年金を受け続けていたのであり、その点、生活不安のない気楽な生活を送ることができたのであろう。画家を目指して絵の勉強をしていたというのも、そのような環境の支えがあったためとも解しうる。
 しかし、孤児年金という名の遺族共済年金などというものが、いつまでも支給されつづけられるものではない。孤児ではなく、成人し、自力で生活していけるとみなされれば、その時点で受給権が消滅するというものであろう。ちなみに、我国の遺族共済年金は18歳の年度末で受給権が消滅することになっている。とすれば、アドルフにもいつしか、そうした時期が訪れるわけであり、その時、アドルフがどうした対応をしたかということが問題となる。
 アドルフがほぼ、その時期に達したと思われるのは、ウィーンで下宿生活に入り、造形美術大学への入学試験の準備をしていた頃である。その時期に、アドルフは遺族共済年金としての孤児年金の支給打ち切りを通知されたのであり、少なからぬ心の動揺のあったことが想像される。なにしろ、幼少時から、その時に至るまで、アドルフは殆ど生活不安のない年金生活の中にいたのであるから、自らの力で働いて生活を維持するということを経験していない。途方にくれたことが想像されるが、その時の動揺が彼の心に急激な変化をもたらす。即ち、民族主義、反ユダヤ主義である。
by nogi203 | 2006-03-04 16:48 | 歴史分析