古代社会において、ローマが他国に優越していた理由は、共和制にあったといってもよかろう。共和制であれば、一回の戦争に敗れたぐらいで国家は揺らぎはしない。それが、ディオクレティアヌス帝からコンスタンチヌス帝へと続く中で、専制主義に転換する。これは、国家としての基盤を弱めたと解してよいのではなかろうか。なぜなら、専制主義者一人の失政が、帝国全体の衰亡へとつながるからである。
専制主義者にとって、権力の基盤は軍事力である。その軍事力を整備するには、多額の国家予算がいる。国家予算は税収であり、税は確実に徴収しなければならない。徴収機能において、未熟であった古代社会において、税の徴収で一番困るのは、税収対象者が頻繁に職業を変え、住居を移動することである。
とすれば、専制主義者は、税の徴収を確実にするため、住居の移動を禁じ、職業を世襲化して、転職を禁止したいという欲望をもつことになる。しかし、人間は本来的に自由を欲するものであるから、そのようなことは不可能に近い。
それでも、なおそうしたことを強制したいというのであれば、精神的な拘束力を住民に押し付けることはできないかと考える。そこにキリスト教というものが存在すればどうなるか。キリスト教が住民の自由な精神を拘束する力をもっていると考えると利用しない手はないであろう。
かくして、専制主義者としてのローマ皇帝はカソリック教会と提携することをいとわないことになる。その結果、ローマ帝国はローマの神々を捨ててまで、ローマ教会を公認するという道を選択し、ヨーロッパは中世に入っていくことになる。