ユダヤ教を通じてユダヤ民族を支配していたのは、サドカイ人とパリサイ人である。そのユダヤ教の戒律に疑問をもったイエスは、独自な教えをユダヤ人に説いていった。すると、その教えに導かれるものが現れ、従来からユダヤ民族を支配していたサドカイ人やパリサイ人は、縄張りを荒らされるという思いをもつようになる。
その際、サドカイ人やパリサイ人の強味は、行政者として逮捕権をもっていたことであろう。当然、その権限を行使してイエスを逮捕したが、しかし、刑を執行することについては、ローマ側の行政官の許可を受けなければならなかった。
時の行政官ピサロは、サドカイ人やパリサイ人の言い分、即ち、イエスが納税義務を怠り、ローマへの反乱を企てているという主張を取り上げ、イエスの処刑を許可する。
この過程を振り返ってみると、イエスはサドカイ人やパリサイ人の逮捕を権利の濫用として、逮捕の不当を訴えることもできたはずであり、また、ローマの行政官ピサロも、サドカイ人やパリサイ人の主張を一方的であるとして、証拠価値を否認することもできたはずである。それは、裁判としてみた場合、きわめて杜撰であり、まともな審判が下ったとはいえないものであろう。
とはいえ、当時の情況からみて、一応イエスに関する問題は、イエスの処刑で終わったものともなければならないはずであるが、ここに、処刑後、イエスが復活したという言い伝えが広がることによって、イエスを信奉するユダヤ人とユダヤ教を信奉するユダヤ人との間の問題が再燃することになる。