パトリキとブレブスの身分闘争でブレブスが勝利し、ローマの意思決定権を民会を通して掌握することができた。ブレブスとは、当時の中産階級であろう。その中産階級が国家の主体であるうちは、力のバランスのとれた国際関係が望ましかった。しかし、そのうちブレブスの中から中産階級を抜け出し、富裕層になる者が出てくると、富裕層が望むような国際関係を求めてくる。
さらに、そうした富裕層の中から元老院に加わる者が出てくると、元老院がローマの意思決定に大きな影響力を持つようになってくる。彼らが求めるものは、大規模な農業経営であり、そのための大土地所有とたくさんの奴隷労働力である。その奴隷労働力をより多く獲得するためには、戦争での勝利が必要である。
こうして、力のバランスのとれた国際関係を望んでいたローマは、新富裕層が国家の主体となることによって、より多くの奴隷を獲得できる拡張政策に方針転換することになる。そのきっかけが、ピドナの戦いであるが、それに続く戦いにおいて、ローマは連戦連勝し、ついにはカルタゴも滅亡に追いこんでいくのである。
当然、戦勝がもたらす奴隷はローマの富を大きくするが、それは同時に、やがてはローマ市民を増加させる要因となるものでもあった。奴隷にも解放されれば市民権を与えるというのが、それまでの方針であったが、市民の増加は他方では、財政の負担を大きくするものである。増える市民の数と財政の拡大という新たな局面を向かえたローマは、この時、市政の運営、軍事面の改革なども同時に行なったはずである。
その改革とは、主に、大土地所有を禁止し、独立自営の小農業主を主体とする軍隊への回帰策でなければならいはずであった。しかし、いまや大土地所有者となり、元老院を支配するまでになったブレブス階級は、それらの改革を妨害することになる。
かくして、グラックス兄弟による改革も失敗することになるが、それは同時に、ローマ共和制の行き詰まりをも意味していたといえるのではなかろうか。