日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
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さあ 世界史を語ろう。 第28回 ローマの護民官制度

 ローマの護民官制度というのは、現代でいえば審査制度または異議申立て制度における審議官のようなものであろう。ただ、審議官が行政側で選ばれるのに対し、護民官はブレブスといわれる平民の側jから選ばれるという点が異なるところであろう。
 平民側から選ばれるということは、平民側の利益を代表するものであろうから、これは支配する側、即ち、パトリキとよばれる貴族層にとっては、大きな政治的譲歩をしたということである。
 なぜ、貴族は政治的譲歩をしたのであろうか。これは、ローマ国内の問題は外国の力に依存することなく、ローマ市自身で解決するほうが、ローマそのものの発展につながると、パトリキそのものが認識していたという意味なのであろうか。そうであるとすれば、パトリキは大きな公的利益のために、私的な利益を犠牲にしたということになり、それはそれで政治的度量として評価できようが、それを確認するだけの証拠はない。
 ただ、ギリシャのポリス国家が自身で問題を解決する途を失い、それが原因で国家的衰退を招いたことを目撃してきたのであるから、そうした途を辿らないための予防策として、こうした制度を取り入れたということも考えられないこともない。
 さらに、その採用を可能にした市民的な意識そのものも、ギリシャとは大きな違いがあったものと予想される。即ち、ギリシャ市民としての要件を厳しくし、国家の維持を封鎖生に求めたポリス国家と異なり、解放奴隷をも市民に編入することを認め、敵対国サビアの将軍をもローマ軍に取り込んで国家の維持を図ろうとする開放的な市民意識である。
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by nogi203 | 2005-02-16 13:49 | 歴史分析
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