メフメット6世の亡命によって、オスマン帝国はその幕を閉じる。それに対して、ケマル・パシャはスルタンは自殺したのだと演説で述べているが、まさに、そのとおりであろう。ケマルがスルタンの動員解除命令を無視して、トルコ軍の指揮権を握った時、まだトルコ軍はスルタンへの忠誠心を捨ててはいなかった。にもかかわらず、ダマト・フェリト・パシャはケマルに対して死刑判決を下すなど連合国側に迎合した態度を取りつづけた。この時、スルタンがケマルを支持し、トルコ国民と一緒にイギリス、フランス、ギリシャ軍と戦う決意を示していたならば、スルタン制は生き延びることができたであろう。
ケマルの訴えにトルコ国民が即座に応じたということは、従来のスルタン政府に対する不満がそれほど蓄積されていた証拠であろう。ヨーロッパの戦勝国に媚を売ってまで地位の保全を図ろうとするスルタンと、その政府のやり方に対し、トルコ民族は民族としての誇りが許されなくなっていたのであろう。
そのような状況下において求めていたのは、民族が一致団結して、ヨーロッパの戦勝国に立ち向かおうという呼びかけではなかったか。ケマルの呼びかけは、まさにそうしたトルコ民族の期待に応える呼びかけであり、そこには、一切の打算がない。あるのは、ただ、民族の自立を求める純粋な情熱だけである。