日清戦争後の帝国主義時代、中国へは各国の企業が資本進出を行なった。その理由は労働力が安いからというものである。今日において、先進資本主義国が中国に資本進出するのも同じような理由からである。 しかし、帝国主義時代の資本進出は侵略といわれ、今日では外資歓迎である。この間、いったい中国では何がどう変わったというのであろうか。安い労働力、広大な市場などという条件は変わっていないとすれば、変わったのは資本を受け入れる中国の側ということになろう。つまり、中華思想で外国のものは外国のものである、という理由だけで排除してきたものが、豊かな現実をを見てしまえば、中華思想をいったん脇においても、外資導入を受け入れた方が得策と判断したのであろうか。
外国製品の流入によって、中国国内の産業が打撃を受け、失業者が出たとしても、貿易関係が続いている限り、中国の側にも、それによって利益を得たものが出ていたはずである。そうして得た利益を事業に投資しないから、新たな雇用が生まれないのだととすれば、中国の民衆は中国人の貿易業者にも怒りの目をむけなければならないはずである。
また、帝国主義的侵略とはいえ、鉄道を作り、港湾を整備するなどというインフラ整備が進んだとすれば、それ相応の雇用も生まれたはずである。にもかかわらず、外国の事業を侵略として一方的に憎悪するというのは、これはもう、一種の攘夷思想であり、外国人であれば何でも憎いというものであろう。でなければ、扶清滅洋などという、それまでは考えられなかったスローガンが出てくるはずもない。