第二インターナショナルには中央事務局がなかったという。つまり、各国の労働運動は、各国それぞれの意思で自由に活動していたのである。しかし、それは逆にいえば、まとまりのない労働運動であってということもできよう。その結果、いざ第一次世界大戦が始まった時、各国の労働者は労働者としての世界的団結よりも、各国それぞれのナショナリズムに従って戦争に協力することになる。
これは、労働運動としては明らかに失敗であろう。失敗であるならば、当然、反省するわけであり、反省するのであれば、中央に事務局を置かず、各国の労働運動を統括することにできなかった点に至るであろう。となれば、求むべき体制は中央集権の強化された体制となり、それがコミンテルンとなって実現する。
しかし、そうして労働運動の統括化はできたとしても、今度は逆に中央の締め付けの厳しい労働運動体制に嫌気がさしてくる者が出てくることになる。それを又まとめるには、いよいよ締め付けを厳しくしなければならないというジレンマに陥り、労働運動の限界を感じずに入られなくなる。そうなった結果を辿ってみれば、やはり、最初の中央事務局を設置しなかったという点に原因があるといえるのではなかろうか。