日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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さあ 世界史を語ろう。 第216回 ビスマルク体制崩壊

 ロシアはサンステファノ条約をビスマルクの介入で放棄させられる。そして、ロシア公債の引きうけもビスマルクに拒絶される。これでは、ロシアがドイツに対して怨みを抱いたとしても不思議は無い。にもかかわらず、ロシアはビスマルクの思惑通り、ビスマルク体制の維持に貢献をしてきた。それは、なによりもロシアはビスマルクを通じてしか西ヨーロッパと政治上、公易上のつながりを持つことができないからであった。
 その関係が、ビスマルクの退陣の後、ウィルヘルム二世の即位と宰相ホルシュタインの登場で、たちまち解消されてしまうことになる。三帝協商のうち、ロシアとドイツ間の再保障条約の解消である。
 こうしたことになると、ロシアが西ヨーロッパとの交渉の道が塞がれることは、ウィルヘルム二世も承知していたはずである。そして、同じように他の西ヨーロッパの国々と交渉の道を塞がれていた国としてフランスがいたことも承知していたはずである。その両国が手を結べば、ドイツは東西から挟撃されることになるが、ウィルヘルム二世はそのようなことが実現するとは思いもよらなかったのであろう。なぜなら、ロシアは皇帝の専制政治の国であり、フランスは皇帝を殺した経験を持つ共和政治の国である。ウィルヘルム二世が両国の同盟などありえないと思いこむのも無理は無かったとも言えよう。
 事実、ロシアの方からフランスの方へ同盟を働きかけるということはありえなかったであろうが、しかし、フランスはブルジョアが力を持つ国である。ブルジョアは利益に結びつくことならば、政治体制の相異などは意に介さない。そして、互いにヨーロッパで孤立していることを認識していればこそ、余計に、その現状を打破する方策を模索することをいとわない。そうしたフランスの意図を甘く見たところに、ウィルヘルム二世の失敗があったとはいえないか。
 フランスは、ロシアの公債の引き受けに応じ、ロシアはフランスから大量の銃を購入し、さらには、シベリア鉄道の建設に資金の融資をも行なうほど、両国の関係は深まっていく。ウィルヘルム二世が気付いた時は、ドイツはロシアとフランスに挟まれ、東西に脅威を受ける状態になっていたといえよう。
 かくして、ビスマルクがせっかく築いたヨーロッパの平和を保つ体制が崩れるのであるが、この変化の中でなお、ドイツがフランス、ロシアに対して優位性を保とうとするならば、オーストリア、イタリアとの三国同盟を強固にするだけでは足りず、名誉の孤立を維持しようとするイギリスを、何としても自陣に引きとめておくことであろう。そのためには、絶対にイギリスと対立することになる海外への植民地政策に乗り出すべきではない、ということになるであろう。
 しかし、ここでも改めて感ずるのは、イギリス外交のしたたかさではなかろうか。こうした、ロシアとフランスの関係が出来上がる以前、イギリスはどちらかといえば、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟に属していたといってもよかったであろう。なぜなら、イギリスはロシアとはトルコ問題で対立し、フランスとはエジプトでの対立があって、協調的な関係に近づくことなどありえないという状況である。それが、三国同盟とは手を切り、フランス、ロシアと手を結んだ方が、、イギリスに有利であると判断したとたん、それまでのいきさつを一切無視して、たちまち、協調関係を築くに至るのであるから、したたかというしかあるまい。少なくとも、この外交の切り換えは他国には真似のできないものであろう。
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by nogi203 | 2006-01-06 16:43 | 歴史分析
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