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さあ 世界史を語ろう。 第215回 ビスマルク外交
1871年のドイツ帝国の成立というのは、ドイツが一方的に宣言したものにすぎない。本当に帝国が成立したというのであれば、他国が自主的に認めてこそのものでなければならない。プロシアはその承認をオーストリア、フランスとの戦争に勝利して、いわば暴力で勝ち取ったのである。このような承認が、オーストリア及びフランスの自主的な意思であるとはとても言い難い。それは、プロシア即ちドイツ帝国も十分に承知している。承知しているからこそ、帝国成立宣言への異議申立てが出ないように、常に注意しておかねばならない。そうした細心の注意こそが宰相ビスマルクの最も重要な仕事ということになろう。
帝国成立宣言への異議申立てとは、即ち、プロシアへの復讐のことである。そして、異議申立てを封ずるとは、即ち、復讐を企てる意思を封じ込めておくことに他ならない。とすれば、その対象となるのは、オーストリアとフランスである。この内、オーストリアは国内に民族問題をかかえて、ドイツへの復讐どころではないというのが実情であろう。とすれば、対象国はフランスに絞ればよいということになる。そのフランスの復讐の企てを封ずるということで、ビスマルクがとった手段というのがフランスの孤立化である。 ドイツ帝国にとって、最も恐ろしいのは東西から敵の攻撃を受けることであることは、フランスにもようく判っていることであるから、その道をふさいでおくことがフランスを孤立化させるうえで重要となる、ということをビスマルクはしっかりと認識していたといってよかろう。この東西から攻撃を受けるということは、オーストリアが他国と共同してドイツを攻撃するという場合にも準用できようが、ただ、オーストリアは国内に民族問題を抱えている限り、その恐れは薄いといえよう。オーストリアに民族問題がなければ、ビスマルクはオーストリア対策にも頭を悩ませなければならなかったであろうから、その点、ビスマルクに幸運があったとも評価できよう。 かくして、ビスマルクはフランス対策に取り組むことになるが、その対策の標的はロシアである。フランスとロシアが協力して、東西からドイツを攻撃すれば、ドイツは帝国を維持することは難しくなるのは自明であるから、ビスマルクが自らの政略を完遂するためには、何としても、ロシアをフランスから引き離し、ドイツ側に引きこんでしまわなければならない。そのための餌として、ビスマルクが提示したものは同じ皇帝政治の国家同士としての同盟関係の締結である。 これは、反政府活動に悩むロシア政府にとっては心強いものであり、ビスマルクの狙いは的中する。そして、そこに同じく民族問題で帝政が揺らいでいるオーストリアを加えれば、皇帝政治の国家はいよいよつながりが深くなると同時に、フランスの孤立化を完全に実現することができる。もちろん、その間には、ドイツ帝国としても、譲るべきところはオーストリアにもロシアにも譲り、同盟が破綻しないよう細心の注意を払わざるをえなかったであろうが、ドイツ帝国の定着化という成果のためには、それぐらいの犠牲は取るに足らないものであったろう。
by nogi203
| 2006-01-02 14:24
| 歴史分析
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