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さあ 世界史を語ろう。 第214回 ドイツ帝国の興亡
社会主義者を弾圧する一方、社会保障制度を創設する、そうして労働者の不満を回避するという、いわゆるアメとムチの政策はビスマルクの巧みな統治手段として今日、評価されているが、このうち労働者の不満を回避するという目的の部分にビスマルクの本来意図することと異なった点があるのではなかろうか。
いうまでもなく、ドイツ帝国は皇帝を頂点とする国家である。そうした皇帝国家において、このようにビスマルクの業績を高く評価するようなことがあれば、ビスマルクは帝国内において、皇帝よりえらくなってしまう恐れがある。それでは困るのであろう。なにしろ、ドイツ帝国は統一後まだ間もないのである。そして、その成立もプロシアの優越した軍事力を求心力としてやっと可能となったものに過ぎないのである。そのような状況の中で、国家として最も求められるのは、国家の頂点に立つべき皇帝の権威が、統一の対象となった幾多の君主国の上に確立されることであるはずである。そしてそのことを誰よりも承知していたのはドイツ帝国を実質的に指導するビスマルクであるから、彼本人が評価されることなどは本意ではないのはいうまでもなかろう。 この社会保障制度の確立において、労働者の不満を回避することに成功したというのであれば、それは皇帝の権威を高めるために効果があったと評価されなければビスマルクとしては満足できない。だからこそ、ビスマルクはこの社会保障制度をウィルヘルム1世の勅諭という形で布告することになるのであるが、それでこそビスマルクの本意が達成されるとみるべきであろう。 しかし、こうしたビスマルクの本意がいつまでも理解されつづけるとは限らない。皇帝としてはそれだけの経緯があったとすれば、ビスマルクに借りがあると見なければならないが、皇帝がウィルヘルム2世から3世に移ると情勢は一変する。ビスマルクの方針から外れた政策を指示するようになるのである。いわば、恩を仇で返すようなものであるが、そのようなことが皇帝一人でできるものとは考えられない。産業界がビスマルクを見限り、皇帝をたきつけ新しい政策に方向転換させたとみなせるのである。 この過程において、ビスマルクは産業界に裏切られたと思わざるを得ない。なぜなら保護関税政策によってドイツの国内産業は発展したのであり、社会主義者弾圧法により労働者階級の要求を抑え込めたのであるから、産業界はビスマルクに借りがあったとみなさなければなるまい。ところが、産業界はあくまで強欲である。業容の拡大が、ドイツ艦隊の創設とその拡大によって実現されるというのであれば、ヨーロッパ列強のバランス・オブ・パワーに関係なく、政府に艦隊創設の実現をせまる。 そして、艦隊法という法律が成立し、艦隊の建造が法律で義務付けられることになるのである。こうなれば、政府予算は艦隊建造に振り向けざるをえず、産業界は当然潤うわけであり、この方針に賛同するウィルヘルム3世をドイツ帝国の指導者として押し立てることになるのである。しかし、そのことがイギリス、ロシアを敵にまわすことになるのを心配するビスマルクを結果的に退けることになる。 その結果、ドイツは第一次世界大戦での敗北、そしてヴェルサイユ体制の受け入れ、ワイマール共和国の成立、ナチスドイツの台頭へと進まざるをえなかったというのであれば、この時の産業界の強欲はまさに国を誤らせたというしかあるまい。
by nogi203
| 2005-12-28 14:46
| 歴史分析
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