二月革命はオーストリア、ドイツ、イタリアへとヨーロッパ全体に波及する。そして、それらの国でも自由と憲法を求める闘争が始まる。しかし、当初の勢いもやがて権力側の力で押しつぶされ、革命は不成功に終わる。その原因は革命の輸出国フランスの支援がなかったことにも求められる。いくら自主的な行動であったとはいえ、国内だけの力では権力を倒すことは困難である。そこに支援国があれば、革命勢力も勢いづくことができる。
では、なぜフランスは支援しなかったのか。それについては、ナポレオン1世の経験が影響していないか。ナポレオン1世は革命の理念をヨーロッパに拡充するために、ヨーロッパ各地に軍を進めた。しかし、その結果は各国のナショナリズムを呼び覚まし、かえって侵略者の扱いを受けて撤退しなければならなくなった。
そうした歴史をフランスは持っているのである。とすれば、二月革命の時においても、各国の革命勢力を支援するため軍事的な援助を与えたとしても、またナポレオン1世の時と同じように、ナショナリズムを呼び覚まして、結果的に侵略者呼ばわりされないとも限らない。そこまでリスクを冒して援助する必要があるか、という考えがフランスにあったとしても不思議はない。
つまり、革命を行なうならば、自国の力だけで行なってくれということであろう。これは革命を起こした国々の側から見れば、ナポレオンを侵略者として排除したことの報いが、40年の歳月を経て、自分達に跳ね返ってきたということではなかろうか。