日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
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さあ 世界史を語ろう。 第190回 分裂の回避

 憲法を作り,連邦が形成されたといっても、そのようなものはいつ元に戻るかわからない。この時期、国家の指導者に最も求められたことは、再び、国家を分裂させないということであったろう。事実、分裂に向かう要素は国内にはっきりと存在していた。中央政府を強化しようというフェデラリストと州権を守ろうとするリパブリカンの対立である。
 特に,フェデラリストのハミルトンは中央銀行の設立を基に財政的に中央権力の強化を図ろうとして、早くも憲法解釈についての争いを始めたりしている。その結果、酒税に関してのウィスキーの乱という農民暴動が発生して、連邦政府は民兵によって鎮圧しなければならなくなる。この暴動は首謀者に恩赦を与えると言うワシントンの決断によって分裂への方向を食い止めることができたが,潜在的な分裂志向の存在を認識させるものであった。
 そして、この時期、ヨーロッパではフランス革命が起こり,王制と共和制の対立という構図が現れ、それはアメリカ国内の中央集権派と州権維持派との対立に及んでいく。この時,アメリカはどちらを支援するかという岐路に立たされていたわけであり、いずれか一方を支援することは国内の分裂にもつながることであった。従って,アメリカとしては国内の分裂を避けるという意味においては中立を保つというのが,最も望ましいところであったろう。
 しかし、ヨーロッパはそのような選択を傍観して見ていてはくれない。フランスはアメリカの港をイギリス船攻撃の基地に使用させてくれるように要求してくるし、イギリスは海軍兵を強制的に召集したりしてくる。結局、ワシントンはフランスからの要求は拒絶し,イギリスからの要求には一部譲歩して中立を守ることに務めるが,一部譲歩したという点でフランスとの対立関係を深めてしまうことになる。
 その結果、対仏関係が悪化したアメリカは建国以来の危機を迎えることになるが、そのような危機にあっても、ワシントンは権力の座に固執せず、次期大統領の職をジョン・アダムスに譲り渡す。アダムスはワシントンの方針を受け継ぎ,あくまでアメリカの中立を守りとうし、アメリカの分裂を回避する。
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by nogi203 | 2005-11-05 17:23 | 歴史分析
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