奴隷州を認めるか認めないかについて、合衆国は2つに分裂する。そして、こうなった原因はといえば、一にもニにも独立宣言の内容にあるというってもよいであろう。即ち,独立宣言には奴隷州を禁止するという条文がないからである。このことについては、奴隷制度そのものが当時存在しなかったから明記されなかったということではない。奴隷制度は現実に存在しており,ジェファーソンなどは反対する立場であったが,ワシントンやアダムスら奴隷所有者に配慮して、その要求を控えたからとされている。つまり、ジェファーソンは13週の結束を重視し、奴隷制度をめぐる分裂を避けたかったのであるが,この妥協が後の合衆国史にとんでもない混乱を招くことになったといえよう。
独立宣言にはっきりとした奴隷禁止の明文がない以上、奴隷制度への反対は人道主義的な訴えに頼るしかない。これでは、法的な拘束力をもつことがでないから、別途に協定を結んで妥協を求めるしかないことになる。
その結果,北緯36度40分のミズリー州南境界線以北を自由州とするとか、カンサスーネブラスカは住民の意思に委ねるとかという協定が生まれることになるが,このような協定は、結局、事態を混乱させただけという評価しかできないのではなかろうか。
カンサスにおけるカントレルギャング団の横行とか、それに対するジョン・ブラウンの報復などは、その典型的な例ではなかろうか。そして、そうしたことの原因を改めて探ってみれば,やはり、独立宣言に奴隷禁止が明記されなかったことに尽きるのではないかと思われる。その点、ジェファーソンの妥協は13州の結束を固めたという意味では評価できようが、後の禍根を残したということでは重大な問題があったと言わざるをえない。