英仏間で締結されたイーデン条約は穀物の自由取引と、関税撤廃を内容とする。これによって,被害を受けたのはフランスの農民とブルジョアジーである。産業革命進行中の国と、まだその緒に就いたばかりの国では産業競争力に差がありすぎるという思いからである。この条約締結の責任者のカロンヌはそのために失脚するのであるから、この条約は革命期間中は停止されていたとみなしうるのではなかろうか。
という前提に立った上で,ナポレオンがマレンゴの勝利の後,対仏同盟国と結んだアミアン条約をみてみると、イギリスはそれによってイーデン条約の停止が解けるものと期待していたふしがないでもない。それは、イーデン条約の更新ということになろうが、それが実現されないことが明らかになると,イギリスの方からアミアン条約を破棄しようという動きが出てくる。
このことは、条約への期待が裏切られた結果と見られるのであるが,この期待はそもそも始めから持つべきものではなかったと解すべきではなかったか。なぜなら、ナポレオンは,農民とブルジョアジーの支持によって皇帝の地位にあるのであるから、彼らの被害につながるイーデン条約の更新などありえないことは明白であるからである。