公安委員会が独裁的に政治権力を行使しえたのは、民衆がそれを支持していたからであろう。いわば、今日における高い国民支持率を背景とした政治と同じである。しかし、国民支持率と同様、国民公会への民衆の支持が何時までも続くという保証はない。その民衆の支持が弱まった時、公安委員会の独裁への風当たりがたちまちと強くなるであろうことは、当然予想されるところである。
フランス革命のこの時期において、それは対外的な軍事的危機がいったん回避された時点と特定できよう。とはいっても、いったん握った独裁権力は離したくない。となると、公安委員会に反対する者を、政権に就いている者の権利として、粛清しておきたくなる。かくして、ブルジョア寄りのダントンがまずギロチンにかけられ、ロベスピエールの独裁は益々強まることになるのであるが、それでも独裁を支持していた民衆の支持が弱まりつある状況は変わらないのであるから、そうした強権を行使したとしても一人よがりのものでしかない。
そうした独裁権力の頂点が最高意思の祭典であろうが、これは社会秩序の回復を古典的な情緒の回復に訴えるものに過ぎず、到底、国民的支持を強固にするものとは思えない。それは、あたかも、ロベスピエールの運命を予言しているかのようである。