国王一家が逃亡したというのは、立憲君主制を自ら否定したということである。その逃亡した国王を連れ戻し、なお、立憲君主制を目指したいというのであれば、、国王に心を入れ替えてもらうしかない。しかし、いったん逃亡して、はっきりと、立憲君主制を否定した国王にいまさら、改心を期待するのは難しい。
となると、困るのは立憲君主制を目指していた王党派ともいうべく一派である。即ち、シェースであり、ラファイエトであり、亡命貴族などである。逆に、この事件によって、一気に革命の主導権を握ったのは、ロベスピエールやダントン、マラーらのジャコバン派、即ち、共和制指向派である。
という意味で、彼らにとって、国王逃亡事件はまさに、青天の霹靂ともいうべき事件であったともいえよう。しかし、そのことは同時に、革命の伝播を警戒する諸外国をして、一気に革命鎮圧への共同行為を促す契機となるものでもある。その鎮圧行動を跳ね返してこそ、始めて、共和制国家フランスは独立国としての地位を諸外国から承認されるのであるから、まさに、革命は正念場を迎えたといってもよかろう。このとき、共和制フランスの一致団結を呼びかけるかのように、ラ・マルセイエーズが高らかに鳴り響く。