周が天下を統治する根拠としたものは、天からの命を受けたということであろう。周が衰え,天下を治める実力が無くなったとしても、天からの命というものは、誰もが受けられるものではないという認識が、春秋の各国の覇王に残っていれば,周の王室の権威は健在ということができよう。だからこそ、斉の桓公も晋の文公も周室を担いで、覇を唱えることが出来た。
それは、他の春秋各国にも、周の王室の天から命を受けた、という言い分を尊重しようという意識があったからである。だからこそ、王を尊び、夷を攘つというスローガンが成立し得たのであろう。
その過程で違いがあるとすれば,斉の桓公のように、自ら周に出向いて、周室を担ぐか,晋の文公のように、周室を呼び寄せて担ぐかの違いであろう。
しかし、このような全中国的な合意も、いったん天の命を受けたなどという言い分は、何の根拠もないことで、誰でも 実力の背景さえあれば、言えることではないか、と思い始めると、たちまち崩れてくることになる。
周室の政治的権威は、その時を境に低下し、天下は政治的権威が不在の状態となることになる。