今回のフランスでのテロ事件を見るように、表現の自由は社会に様々な影響を及ぼすものである。以下は、歴史上に生じた事例の一例。
13世紀初期、スペイン、トレドの司教ロドリゴ・ヒメーネスはイベリア半島からイスラム勢力を後退させるため、イスラム教に対する誤ったイメージを意図的にヨーロッパに流す。その影響を受けたスペイン、フランス、イタリアの諸侯はローマ法王イノセント3世からの宣言を受けて十字軍としてイスラム勢力との戦いに臨む。イスラム側としては謂われなき疑いをかけられた災いともいえようか。ヒメーネスはアラビア語に通じていたが、アラビア語の古典をラテン語に翻訳するに際し意図的に誤った翻訳を流したのである。まさに、表現の自由を悪意に利用したというしかない。
1800年のアメリカ大統領選挙、第2代大統領ジョン・アダムスは2期目の当選を目指し立候補したが、結果は投票順位3位となり落選した。原因は修正憲法第1条に反する法律の制定に加担したためである。修正憲法第1条は表現、報道の自由を禁止する法律を制定してはいけないというものであるが、アダムス大統領は大統領、政府、議会を侮辱し、これに不名誉を与える目的で虚偽、悪意の批判を公表したものに禁固または罰金刑を科するという治安法を制定したのである。その結果、票が集まらなかったというのであるから、アメリカでは事ほど作用に表現の自由が重んじられているということか。
徳川幕府九代将軍家重の時代、文筆家馬場文耕、筆禍事件で死罪となる。理由は将軍家重の日常生活を暴露する記事を書いて出版したため。家重は言葉を話すのが不自由であり、虚弱体質であったが文耕はそれらのことまで書いてしまう。文耕は当時流行の心学を批判する物などを書いたり、大奥や将軍家、大名家などで起こっていることも書いていていたが、行き過ぎた表現の自由がついに怒りに招いたということか。
以上、表現の自由が与えた歴史上の影響であるが、これらはほんの一例であり、探せば、まだまだ出てくることであろう。