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さあ 世界史を語ろう。 第135回 君臨すれども統治せず
ウィリアム3世は迎えられてイギリス国王になられた方である。そのような経緯を持つ国王がまず優先すべき政策は、自らの地位を固めるということであろう。それは特に、他に王位の継承を主張する者に対してのものとなるのは当然ではなかろうか。となれば、武力行使を伴うことになるのもまた必然であろう。しかし、武力行使をするとなれば、資金が必要となる。その資金は税金ということになるが、イギリスでは国王が一方的に国民から税を徴収することはできない。議会の同意を得てというのは、ウィリアム3世がイギリス国王に迎えられるに際して、確認をとられていることである。
となると、ウィリアム3世としては、資金を提供しうる財力が豊かな階層を優遇した政策をとらねばならない。この当時、そうした財力を持つのは商工業者であり、そして、その商工業者が支持する政党がホイッグ党である。国王としては、国王への受動的服従を容認するトーリー党を優遇した政策をとる方が合理的と思えるが、当面の国王の地位を固めるという方針の前には、そうした優遇策は抑制せざるを得ない。 かくしてウィリアム3世は海外市場の拡大を求めるホイッグ党の要請に沿って、海外での植民地獲得戦争を遂行することになるが、その代償として、ウィリアム3世を否定してフランス亡命中のジェームス2世を支持するルイ14世との戦争をホイッグ党の協力で退けることに成功する。 こうしてウィリアム3世のイギリス国王としての地位は強固になることにはなったが、こうした経験は資金を必要とする国家的政策を遂行する際には、常に商工業者の支援を求めなければならないという教訓をもたらすことになる。それは、国王としての威厳を維持する上にとって容認すべからざることである。国王としては何事によらず、自らの財政力で遂行したいものである。そのためには貨幣を発行する権限を持った銀行を政府の支配下において、随時、財政的な附与を得られるようにすることである。 ということで、そのような意図のもと、イングランド銀行が創設されることになるが、これは国王に議会の同意」なく財政を構築するための手段を与えたことでもあり、絶対専制主義への道を開くことになるはずのものでもあろう。実際、ウィリアム3世が欲しさえすれば、それは可能になったと思われるが、イギリス国民にとっては幸運とも言うべきことかもしれないが、そうした方向に踏み出す前にウィリアム3世は急逝してしまい、後を絶対王制には興味がなく、自らの私生活上のサービスさえ議会から保証さえされれば満足というアン女王が王位に就いたことで、国政は君臨すれども統治せずという方向に向かったことは、イギリスにとって、まことに幸運なことであったいわねばなるまい。
by nogi203
| 2005-07-13 13:52
| 歴史分析
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