イギリスは王と議会が互いに譲歩することによって、国内秩序を維持してきたとみなしてよかろう。それが、ピューリタン革命によって、王が存在しなくなり、議会だけが国内統治に全権限を行使するようになった。その結果、議会は腐敗し、猟官運動が頻繁になるという事態を迎えざるをえなくなる。
これではいけないと思って、クロンウェルは議会を軍の力で統制しようとするが、それもうまくいかない。ついには、自ら護国卿となって、王の代わりを務めようとするが、独裁化を非難され、統治はうまくいかなくなる。その結果、やはり、議会を制御する機関として王権が再認識され、大陸からチャールズ2世を迎えることになるが、それも、議会と協調することを同意させたうえでのことである。
とはいっても、要請を受けたという事実に間違いはなく、要請を受けた当人のチャールズ2世は要請を受けたという事実に基づき、議会に様々なことを要求できるものと理解するのも、又当然のことであろう。
もちろんそれは、国王自ら王権を行使するということではないから、国王に代わって、行政の執行責任者となるものが、新たに歴史に登場してくることになる。それこそが、クラレンドン伯であり、キャラバと呼ばれる執行者の一団であるが、これこそが、議会制度における責任内閣制のはしりといえるものかもしれない。