マインツ大司教アルブレヒトは人文主義の理解者である。神聖ローマ帝国皇帝カール5世はエラスムスに年金を与えている。(しかも、居住要件不要である) となれば、エラスムスは彼らの側に属しているとみられても不思議はない。ところが、1517年10月17日、ウィッテンベル城での95ヶ条の質問でカソリックの腐敗を糾弾したマルティン・ルターは、その後、エラスムスに支援を求めてくる。となると、エラスムスは困ったことになる。自分は争いは好まない、ただ、勉強したいだけだ、などと言っているだけでは済まないことになる。
贖宥状発行の元締めであるアルブレヒトを攻撃するルターの論理には正当性を認めないわけにはいかない。しかし、そのアルブレヒトは人文主義の理解者であるとすれば、ルターの申し出に応じることはアルブレヒトを敵に回してしまうことになる。又、カール5世自身、ルターを非難しているのであるから、年金を支給されている立場としては、カール5世に従うしかない。
両者の板ばさみになったエラスムスは双方に対し、穏やかな収拾を望むといった意味の回答しかできない。しかし、それは単なる喧嘩騒動としてみているだけなら通用するかもしれないが、事態が教会の権威そのものに対する歴史的挑戦としての意味が明らかになってくると、日和見的な態度として非難を免れないものとなってくる。エラスムスは、ここに、生涯最大の試練の場を迎えたということができよう。