宋の太祖、趙匡胤は自ら望んで建国したわけではない。部下が幼帝を危ぶんで趙匡胤を担ぎ上げたため、やむなく皇帝の地位に就いたのである。唐の滅亡以後、次の中華王朝に求められたのは、中央政権の強化であったが、この宋の建国の経緯は最も望ましい形での建国であろう。
太祖にしてみれば、部下達が求めるからこそ皇帝になってやったのであり、それならば、自分の指揮命令には絶対に従え、と要求することもできよう。部下にしても、皇帝になってもらったのであるからその主張には従わざるをえない、という意識が生まれる。
こうした両者の関係が生み出すものは、当然、皇帝の部下に対する強い支配力となるであろう。それこそ、最も望んでいた中央集権の強化にほかならない。