モンゴルはロシア、ハンガリー、ポーランドを攻撃した。当時、ヨーロッパはキリスト教支配の強固な社会である。とすれば、ヨーロッパへの攻撃がキリスト教に対する敵対的なものかどうかを確認しなければならない。そこで、ローマ法王イノセント4世はプラノ・デ・カルピニというものを派遣するが、その際、派遣目的を明確に伝えていなかった。
カルピニはモンゴルに赴き、メンゲ・ハーンから法王への親書を受け取ってくるが、親書にはロシア等を攻撃したのは、モンゴル人が殺害されたことへの復讐としか記載されておらず、キリスト教の味方かどうかは判明しなかった。となると、もう一度使節を派遣して確かめなければならないが、ローマ法王たるもの続けて二度も使節を派遣していては、面子が立たない。
その時、フランス国王ルイ9世が家臣のギヨーム・ド・ルブルックという者をモンゴルに派遣する。ルブルックは使命を果たし、モンゴルの実情を詳しく調査、分析した報告書を提出し、それによってモンゴルがキリスト教の味方ではないということがはっきりする。しかし、先のローマ法王の事情から考えてみると、このことは、ルイ9世がローマ法王の面子をつぶさないため自ら代わって、家臣を派遣したとも解せないか。