日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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さあ 世界史を語ろう。 第77回 唐朝の権威付け

 従来の貴族社会が続いていれば、九品中正制度が廃止されることはなかったはずである。なにしろ、それこそが自らの地位と富を保証する支えでもあったからである。そして、それが廃止され、新しく科挙制度が創設されたというのは、従来の貴族社会とは違う、まったく別の社会が形成されたとも見えるものである。
 しかし、まったく別の社会といっても、貴族が強い勢力をもつ社会であることには変わりはなかったであろう。その証拠は、鮮卑族の血を引くといわれる李氏が自らを権威付けるため、老子を始祖に設定したことに現れているとはいえないか。
 まったく別の新しい社会が民衆の意思を反映した社会であるならば、そのように自らの一族をそのように権威付ける必要などないはずである。そこに、わざわざ老子を担ぎ出さねばならなかったのは、まったく新しい社会といっても所詮貴族中心の社会であったことの現れであろう。
 では、なぜ、老子であったのか。
 権威として通用するには尋常一様の存在では無理であろう。そこには、民衆全体が無条件に権威として崇めるほどの高い神聖さが要求される。そのような存在として担がれているものとしては、儒教では孔子、仏教では釈迦があろうが、いまさら、唐朝が横取りするわけにはいかない。従って、孔子、釈迦に匹敵するほどの権威を唐朝は見つけ出さねばならない。そうして見つけ出し、そして担ぎ上げたのが老子ではないか。
 かくして唐は王朝の基礎的な権威付けを成し遂げるが、それだけでは不充分である。ということで、王朝を飾る新しい貴族文化の形成が求められ、実現したのが開元以降の唐朝貴族文化を色取る密教文化ではなかったか。曼荼羅を始めとする豪華な視覚的装置を布教道具とする新しい仏教は、攘災招副を宣伝文句に唐朝貴族文化を完成し、遣唐使を通じて我が平安文化をも創造させていく。
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by nogi203 | 2005-04-20 14:10 | 歴史分析
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