日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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さあ 世界史を語ろう。 第46回 中世ヨーロッパの誕生

 中世ヨーロッパは、ローマ法王ザカリアスとメルヴィング王朝の宮宰ピピンの契約によって、成立したものとみてよかろう。しかし、この契約において、切実さという点においては、ローマ法王側により多くあった、と解するべきではないか。
 現実に、ラヴェンナは東ローマに接収され、北からはランゴバルトの侵入がせまり、ローマ法王はランゴバルトの王に侵略を控えるように哀願までしなければならない事態に追いこまれている。
 一方のピピンの方は、名目だけの国王を担いではいるが、実質的にはフランク王国の支配者である。その実質的な地位をローマ法王の承認を受けることによって、正当なものにしようとするだけのことである。又、ピピン自身、ランゴバルトとは、カール・マルテルが回教徒と戦った時、同盟を結んだといういきさつもある。その同盟を裏切ってまで、ローマ法王につく必要があるか、という疑問もあったであろう。だから、ローマ側から話をもちかけられたとしても、うまい話ではあるなぐらいの価値しか認めなかったのではなかろうか。
 そのフランク側の空気というものは、ローマ側も感ずいていたのではなかろうか。だから、そのような空気を吹き払ってもなお、ローマとの契約を締結したいという欲望をローマはフランク王国に与えねばならないということになる。ザカリアス法王のピピンを援護する声明「王たる力のある者が王になるべし」というのも、そのためのものと解せよう。
 又、「イタリア以西のヨーロッパをフランク王国の支配に委ねる」とするコンスタンチヌス帝の遺言書をわざわざ偽造までして、ピピンに示したというのは、ローマ法王側がフランク王国に精一杯の誠意を見せたものと解したい。つまり、ローマはそれほどせっぱ詰まっていたということである。
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by nogi203 | 2005-03-09 14:05 | 歴史分析
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