という意味で、一般人が直接、ギリシャ・ローマ文明の存在を知るということは、ローマ教会の壁があって、なかなか困難なことであったが、ローマ教会の支配に属さない人々にとっては、そのような困難、そのものが存在しないということになろう。ローマ教会の支配に属さない人々といえば、カソリックではないという人々であり、キリスト教以外の宗教を信仰する人々ということになろう。
問題は、そのようにキリスト教に対抗するほど、強く人々を引きつける宗教は現れるかどうかということであろう。そのような宗教が現れ、キリスト教による保護よりも心強く信仰できるとなれば、もはや、キリスト教による制約はなきに等しくなる。
そこに回教である。回教はたちまちローマ教会の支配の及ばないアラブ世界に浸透し、その勢力を拡大させていく。ローマ教会の支配が及ばないのであるから、ギリシャ・ローマの文明に接することにも抵抗はない。ギリシャ・ローマ文明の本質は、民主制・共和制にあったが、彼らサラセン人は、その自由な発想による自然科学や哲学的な部分のみを吸収して、帝国の文明を発展させていく。もちろん、それを非難することはできない。
摂取した文明に、どう影響されるかは摂取した側に、生活基盤となるほどの根強い文明が既に築かれているか否かによるものであるから。その根付いた文明がなかったゲルマン民族がローマカソリックに文明的な支配をうけざるを得なかったのに対し、サラセン人の間には、既に、ギリシャ・ローマ時代より遥か前に築かれた生活文化があったために、全面的な影響をうけることなく、技術的な面だけを取り出して、彼らの文明形成に役立てたと解する