日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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ワイドスクランブル 岡本信人さんとのお話。

 ワイドスクランブル「ありがとう」シリーズでの中で、岡本信人さんとのお話を書くのを忘れていました。
 (福は福岡翼リポーター、中は中村克也アナウンサー)

 水「最終回は、岡本信人さんでございます。当時、信人君というような呼び方をしてましたね----、あんた、ちっとも変わらないわね、気持ち悪いわよ。なんだか、会ったとたんに26年前に戻っちゃったもん、私。」
   (第2部、鉄之助、新が着物を着るの手伝っている時の場面が出る。)
 水「皆さんそうなんですけどね、ほんとに、ほらほら変わんないでしょ、ほら。」
 岡「けっこう、絡んでたんですね。ほとんどセリフ交わした記憶ないんですけどね」 
 水「これはね、3人兄弟で、虎先生、辰之助先生の一番末っ子でね、私に着物を着せてくれてんですよね。 やさしい弟さん役ですね。」
 岡「出来の悪いね-----」
 水「いえいえ、そんなこと申しませんよ」
 岡「僕ね、児玉さんとか石坂さんとかには、もう、プライベートでも兄弟のように付き合っていただいたんで けどチータとはあんまり、一緒に食事したということはなかったですね。」
 水「そうですね、なんでなんだろう。」
 岡「だから、やっぱり、出番があんまり一緒だったことがなかったから。」
 水「でも、私、いつも思うんだけど、信人君のキャラクターって、すごく、ほら、強いじゃないですか。あのキャラクターって、どこから出てくるんですかね。」
 岡「いやいや、わかりませんけど---」
 水「やっぱり、あのキャラクターっていうのは自分で考えてつくられたものなんですか。」
 岡「いや、考えてじゃないんですけどね、そのまんまなんですけどね」
 水「私生活はいかがですか。」
 岡「私生活は、まあ、二枚目ですけどね、自分で言うのもなんですけど(笑)」
 福「あんまり、うわさが---、我々がわぁーと騒ぐようなうわさが、そういえば、響いてきませんね。本当は何かあったんじゃないですか。若い頃は。」
 岡「いやいや、ごく目立たないように生きていますんで---、そんなこんなで、私---。」
 水「私も、あんまりなかったよね」
 岡「そうですよね---」
 水「この前ね、月曜日、大空さんが、これこれ(親指を立てて)言われた時にはね、私、びっくりこきましたよ、誰だかわからなくて。」
 岡「よく、ほら、あの---、ありがとうのあとで一緒に出た番組があるじゃないですか」
 水「あの、違う局でしょ、フジテレビ---」
 岡「その時、若い方と一緒だったときは、わりと---」
 水「豊年万作の時ぐらい---」
 岡「そうです、その時ね、夜明けの停車場とかなんとか---」
  (チータ、あわてる)
 水「ちょっと、もうぉー、こらこら、こらぁー」
 福「夜明けの停車場、何かそういうヒット曲ありましたね、そういう---」
 水「いい歌でしたよね、歌っている方も素敵な方でね。」
 (チータ、岡本さんの肩をたたく)
 中「ありがとうございました。さっき、チータが全然お変わりにならないおっしゃいましたけど、岡本さんからチータをごらんになってどうですか。」
 岡「もう、最初会って、ずいぶん変わちゃって失礼なこと言ったんですけど、---それはね、すごく、こう、美しくなられたんですよね。あの時は、男っぽかったしね。」
 水「みんなそうやって、中性だの、男だと思ったの---、みんな一週間、言われ続けたよ、私。
でも、信人君がドラマでも、そうですけど、舞台もおやりになるですね---、ほんで、あの、金田一----」
 岡「ええ、映画の」
 水「ねえ、あれがすごく印象に残っているの。何が一番好き? 仕事の中で。」
 岡「僕は、やっぱり映画なんかが、本当は好きなんですけど。僕らは、石原裕次郎とか映画にあこがれて---、お芝居やりたいと思ったけど、僕らの時代っていうのはテレビの時代ですから---。 僕、一つだけやり残したものあるんですけど」
 水「何?」
 岡「それはね、青春もの。僕らあの当時、同い年の人っていうのはジャージー着て、ラグビーボールもって走っていたんですけど、僕はそのころは白衣着て岡持もって走ってました。そういう時代だったんで、ほんと   にもう---、それだけ、やり残したなって気がするんですけどね。」
 水「今からだって、間に合うじゃないですか」
 岡「でも、走れないですよ。」
 水「いや、走るのはなんだけど、顔、まったく変わってないんだから。青春もの、やりましょ。
でも、いつも思うんですけど、信人君の顔見てるとホットするんですよね。どうか、お人柄というのかな、    滲み出ていて---。これからも、いいお友達でいたいなぁと、思いますけどね。」
今日はおつきあい下さいまして、ありがとうございました。」


以上です。ちなみに、「夜明けの停車場」を歌っていたのは石橋正二さん。水前寺さんは結婚する前、昔の彼氏の写真はすべて燃やしたと語っていました。
 それにしても、「ありがとう」の今を見たい。新と虎之介はどうなっているのか。なんとか、作ってくれないものか。切に切にお願いしたい。TBSさん、よろしくお願いいたします。
   
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by nogi203 | 2012-09-11 15:10 | ドラマ ありがとう

決められない政治。

 国民の意思を政治に反映させるためには、議会制度は不可欠である。しかし、そのあまり、隅々にまで国民の意思を反映させようとすると、議会制度は何も決められない事態に陥ってしまう。まさに、今の日本の国会がその状態である。
 1922年(大正11年)第45回帝国議会は健康保険法を成立させる。この法案は上程から可決成立までわずか2週間であったという。しかも、無修正であったともいう。なぜ、そのようなことができたのか。1925年(大正14年) 普通選挙法が成立して、有権者の数が増加する。1922年というのは、その前であるということであり、有権者の数が少なかった時期ということになる。物事を決めるには、人数は少ないほうが決めやすい、ということを実証したようなものである。
 1938年(昭和13年) 国民健康保険法が成立する。健康保険法の適用範囲は工場法、鉱業法適用事業所の労働者に限られていたが、この法律によって農民層にも保険が適用されることになった。もっとも、農民間の相互扶助が原則で、国庫負担なしであったから、医療費は全額自己負担となり、支払い能力のない農民はほとんど利用できなかったという。それよりも問題は、この法律の成立が議会主導で行われたものではなく、軍部の圧力で成立したことである。徴兵検査の結果、農民の体力低下が顕著であったことを憂慮した軍部は,兵の最大の供給源である農民の健康維持のため、健康保険法の必要性を痛感する。そこで政府に圧力をかけた結果がこの法律ということであるが、このことの問題点は政府が決められなかったことが軍部の圧力によって決められたということである。普通選挙法の成立は有権者の数を増やしたが、その分、議会制度の中では物事が決めにくくなっていたということか。
 1961年(昭和36年)4月、国民皆年金、国民皆保険体制がスタートする。この体制の元となった国民年金法及び新国民健康保険法はともに、議会制度の中で成立したものである。女性の選挙権が認められ、有権者の数が倍増して、議会制度の中では物事が決めにくくなったはずであるのに、これらの法律の成立は異例な出来事と言わねばならない。しかし、この時期、議会は自由民主党が衆議院、参議院ともに過半数を制していた特異な時期である。事実、法案は自由民主党の単独採決で可決されたのである。実際のところ、議会制度の中では、そのような状況でもない限り、物事はスムーズには決まらないものであろう。
 今般、大阪維新の会が議員定数を半減させるという案を発表した。物事は人数が少ないほど決めやすいという原則があるとすれば、この案は一考に値する。決められる政治を目指すという大阪維新の会ならばこそである。反対する政党があるとすれば、それは物事が決めにくい政治をこのまま続けたいといっているようなものである。
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by nogi203 | 2012-09-05 15:07 | その他