日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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さあ 世界史を語ろう。 第261回 アメリカの成功体験 その2

 日本の帝国海軍が大鑑巨砲主義を捨てきれなかったのは,日本海海戦での成功体験があったからであるといわれている。そのことを取り上げて、日本海軍の愚かさを指摘することが多い。しかし、成功体験に縛られて愚かさをさらけ出してしまったのは、日本帝国海軍だけではない。第二次世界大戦後、アメリカはミサイル競争において、ソ連に遅れを取ったことは、紛れもない事実である。そして、その原因は,大戦中の戦略空軍の成功にあることも、叉事実である。
さらに叉,遅れを取り戻すための人工衛星の開発でも遅れを取ったのである。
 こうしてみると、成功体験に縛られて愚かな選択を行うというのは、何も日本帝国海軍だけのことではなく、人類一般に共通したものであるといえるのではなかろうか。
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by nogi203 | 2006-03-31 13:47 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第260回 アメリカの成功体験

 大恐慌で落ち込んだアメリカの景気は、ニューディール政策によっても回復しなかった。アメリカの景気が回復に向かい、はっきりと改善されたのは、第二次世界大戦に入ってからのことである。
 このことによって、アメリカは景気の回復は戦争によってもたらされるという成功体験を持つことになっった。そして、そうした成功体験を持ったということは、その後のアメリカの世界政策に大きな影響を与えることになった。即ち、アメリカ国内の景気を回復させるには、世界のどこかで戦争を引き起こせばよい。アメリカ国内の景気が回復すればアメリカを輸出市場をする世界の景気も回復する。だから、世界のどこかで戦争が行われれていても、世界の各国は表面では反対していても、内実は歓迎しているに違いないというのが、アメリカの自信の背景となる。
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by nogi203 | 2006-03-30 14:25 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第259回 マハトマ・ガンジー

 植民地支配といっても、上から一方的に押し付けただけではうまく行かないのは、支配者側のイギリスにもようく分かっていたはずである。やはり、そこには被支配者側のインド人による協力がどうしても必要である。
 しかし、第二次世界大戦によるイギリス本国の逼迫は、そうした原則をも忘れさせてしまうほど差し迫っていたのではないか。戦後は自治を与えると約束して、当面の戦争に協力させておきながら、いざ、戦争が終わってみると、そのようなことを約束した覚えはないという態度に一変し、それに対して抗議の声が上がると、今度は令状なしの逮捕、裁判なしの禁固を認めるローラット法を施行するなど、強圧的な政策を押し付けてくる。
 このような時、改めて植民地支配が被支配者の協力なしにはうまくいかないことをイギリスに示そうとしたのがマハトマ・ガンジーではなかろうか。そして、イギリスがガンジーの主張を受け入れようとしないことがはっきりした時、ガンジーが示した強い意思こそ、協力しない、というものではなかったか。
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by nogi203 | 2006-03-28 14:50 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第258回 インドネシア国民党

 コミンテルンはインドネシア国民党に対しても指令を出す。その内容は、革命的ブルジョアジーとは共闘して帝国主義を打倒せよというものであり、中国共産党に出した指令と同じである。 中国では共産党が国民党に追われるということはなかったが、インドネシアではスカルノ率いるインドネシア国民党が共産党を追い出すことに成功する。そして、その結果、今日の対日本への接し方を見ると中国はあいかわらず対日批判が激しく、インドネシアではそのような声は起こらない。この違いの元をたどれって見れば、コミンテルンの指令に従属させられていたか否かの違いにたどり着く。
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by nogi203 | 2006-03-27 13:59 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第257回 松岡洋祐と三国同盟

 松岡洋祐が三国同盟の締結を積極的に推進したのは、日本、ドイツ、イタリア、そしてそれに加えてソ連が共同することでアメリカの参戦を食い止めるためであった。だから、同盟の内容も当事国のうちの一国が第三国から攻撃を受けた場合、相互協力を約すが、ただ、ソ連から攻撃を受けた場合は除外するということになっていた。
 ソ連ももちろんその内容を知っているであろうが、ソ連にしてみれば、本当にソ連からの攻撃の場合が除外されるのかどうかは信用できない。そこで、松岡はソ連に対し、中立条約の締結を提案するが、これは松岡のソ連対する誠意であったとみなせなくもない。
 ところが、そうした誠意を見せた後ドイツへ立ち寄った松岡は、そこでドイツ外相リッペントロップから近々独ソ戦の始まることを示唆される。これには松岡も驚く。なにしろ、松岡の構想はドイツとソ連が戦わないことを前提にして成り立っているのであるから、構想の基盤そのものが崩れることになる。あるいは、このリッペントロップの示唆は、日ソ中立条約の締結を見送ることを松岡に注告したとも受け取れるが、松岡にしてみればこの時から頭の中はパニック状態になっていたとも解せなくもない。
 その後、松岡は再びソ連に立ち寄り、日ソ中立条約を締結するが、この時、この締結が松岡の真意であったかどうか、疑問であるといわねばなるまい。松岡にしてみれば、自らが提案したことでもあり、それだけに自ら締結の見送りを申し出ることは難しかったであろう。そこで、やむなく条約を締結することになるが、後悔の念は心を占めることになる。
 そのような状態の中、松岡は日本に帰り、そこでアメリカからの満州問題に関する諒解案を目にするが、もはや、冷静な判断力は望めない。諒解案には、アメリカ側の大きな譲歩は含まれていたにもかかわらず、松岡はあくまで汪兆銘政権と締結した日華基本条約に固執し、アメリカとの和約への道を閉ざしてしまう。かくして、日本は大きなチャンスを逃して、第二次世界大戦へと突入していくことになるが、その原因の一つとして、この時の松岡洋祐のパニック状態があげられるのではなかろうか。
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by nogi203 | 2006-03-25 10:53 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第256回 軍事費調達

 世界恐慌によってアメリカ市場は購買力を失った。すると、アメリカ市場への輸出によって国内景気を維持していた国々は商品の輸出先がなくなることになる。アメリカへの輸出依存ということでは、イギリスもその仲間である。しかし、イギリスには連邦を構成する国家群があり、その中で互いの貿易関係を支え合うブロック経済をとることができた。その範囲は広大であり、世界貿易に与える影響は少なくない。
 このような閉鎖的な貿易関係が生まれたとなると、アメリカ、イギリスなどの消費市場に依存せざるを得ない国々は、それぞれ自給自足で生存の道を模索せざるを得なくなる。政権の座についたヒトラーも、まずは、そうした方向で政策を進めざるを得ない。しかし、いったん政権の座につくと、ヒトラーの考えは飛躍したものとなる。自給自足のためには領土が必要である。領土は奪わない限り、増えない。増やすためには実力によるしかない。実力とは戦争である。戦争のためには軍備を拡張しなければならない。それには、資金が要る。資金はライヒスバンク(ドイツ銀行)にある。
 しかし、戦争をするためなどという理由で総裁のシャハトは資金を融通などしない。そこで、騙さなければならない。その方法は、まず、政府保証会社発行の手形の引き受けを、ライヒスバンクに義務付ける法律の制定から始める。もちろん、引き受けた手形の償還は約束する。こうした準備を整えた上で、政府保証会社に軍需品を納入した業者は代金を手形で受け取り、ライヒシバンクで割り引いた上で現金を受け取る。国内景気も回復し、国家も軍需物資を調達できる。
 これで、国家がライヒシバンクの引き受けた手形の償還に応ずれば、国家財政はうまく回転するわけであるが、国家には償還に応ずるほどの資金はない。国債の発行で賄えばよいが、それでは償還原資がなくなってしまう。にもかかわらず、国家は長期国債を発行して、ライヒシバンクをうろたえさせてしまう。結局、償還期限がきても手形は償還されず、ライヒシバンクは泣き寝入りをさせられることになる。
 こうした詐欺的行為を弄してまで軍備を拡張し、国家の自給自足化を図ろうとしたヒトラーは、どうみても強引としかいいようがないであろう。そして、それだけ強引であれば、当然、国民の方も不安感を抱き、ナチス不支持を表明しなければならないはずであったろうに、現状の景気好転、失業からの脱出などという面を見せられれば、将来の不安に気づくこともなくなる、その盲目状態こそが、結局、ドイツを破局へと導くことになる。
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by nogi203 | 2006-03-22 14:06 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第255回 盧溝橋事件

  満州国は日本から見ればソ連に対する緩衝国であるが、ソ連から見れば日本帝国主義のソ連攻撃の根拠地にみえる。とすれば、ソ連としては、日本帝国主義がソ連を攻撃できない状態に置いておきたいと考えるのが、極東の戦略上、当然ことであろう。その戦略の上で利用したいのは、もちろん中国である。その中国は今、分裂状態にあり、反日運動は活発ではあるが、協力して日本帝国主義に抵抗しようとはしない。ソ連としては、この分裂した中国国内の勢力を一致団結させ、日本帝国主義の防波堤となってくれることが、最も、望ましい形である。
 という意味で、西安事件後、中国に起きた出来事は、ソ連にとって歓迎すべき変化であったろう。実際、この時点で蒋介石は共産党と合作するつもりは、まったくなかったであろうし、日本帝国主義もそのようなことは予測もつかなかったことに違いない。そうした思いは、共産党側にも大きな違いはなかったはずである。ただ、張学良のみが共産党側に傾いていたにすぎないものであったろう。合作などという出来事が、誰も想像できる状況ではなかったのである。
 そしてそのことによって利益を得るものがあるとすれば、日本帝国主義のソ連侵攻を中国の統一した反日行動で押さえ込んでもらいたいとするソ連だけであったという状態である。従って、この西安事件の背後にソ連、即ち、コミンテルンの策謀があったと考えても不思議はあるまい。
 しかし、そうした仮説が正しかったとしても、その後の成り行きは決して、ソ連の思いどうりには運ばなかった。いままで仇敵であった国民党政府軍とコミンテルンの支援をうけた共産党が、とたんに共同して軍事行動に移れるわけもない。だから、ソ連としては、ここはさらに、国共双方が協力せざるを得ない程の緊迫した状況を作り出したかったということになろう。
 1937年7月1日、盧溝橋での事件はそうした状況の中で起こった。中国側から発砲したとも、日本側から発砲したともいわれているが、この事件の発生で、かねてソ連が望んでいた状況が生まれたことは間違いない。即ち、中国側が日本軍への対応として兵力を増大させ、それに合わせて日本軍も新に兵力を派遣する。日本軍の攻勢に中国側は国共合作して日本軍に反撃せざるを得なくなる。その中で、第ニ次上海事変から南京事件へと戦線は拡大して、日本軍の暴虐な行動が繰り返される。自然と、日本軍への抵抗のため、国共合作は強固となり、中国はまことにソ連の思惑どうり日本帝国主義のソ連侵攻への防波堤としての役割を果たすことになる。
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by nogi203 | 2006-03-18 17:14 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第254回 関東軍暴走

 外国に軍隊を派遣することは、コストの掛かることである。だからなるべく、そのようなことはしたくない。しかし、満州鉄道の経営は日露戦争の結果、獲得したものであり、いつまた、ロシアが条約を無視して奪い返しに来るか分からない。そのようなことが起こった場合、実力でロシアを追い返さなくてはならないのであるが、それができるのは軍隊しかない。だからどうしても、軍隊を派遣せざるをえない。
 とすれば、軍の目的はロシアの南下を監視する事にあるはずであるが、反日意識の現地においては、役割はそれだけに留まらない。現地の中国人から日本住民を保護するという役割も担うことになる。しかしそれは、本来の目的とは異なるものであり、そうした目的のために軍が本国の参謀本部の統制を無視した行動をとったとしても、参謀本部としては制御するための法規制を用意していないということでもある。
 しかも、現地の日本人住民から反日行動に対する断固たる処置を求められればなおさらであろう。その結果が、満州を混乱状態に陥れ、日本軍が軍事的に解決して治安を回復するという方針であり、それが柳条溝事件から上海事変、そしてついには満州国の建国へと向かっていくことになる。
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by nogi203 | 2006-03-16 11:20 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第253回 満州の特殊権益

 清朝が倒れ、政権は南京政府に受け継がれたが、中国全土が南京政府を認めたわけではない。各地に軍閥がはびこり、独自に行政権を行使している。そのような状態を解消するため、南京政府は外国の援助を受けて征討活動を行っているわけであるが、その中で、最も、重要な征討が北京を拠点とする張作霖の軍閥への北伐であったのではなかろうか。そして、それは中央政府としての南京政府としては当然のことであり、外国が干渉すべきことではないというのも当然のことであったろう。日本の世論も対支那不干渉として南京政府の北伐を冷静に眺めている。これはこれで当然のことであり、ここから日中関係がこじれるという余地はなかったはずである。
 ところが、日本の一部に日本の満蒙における特殊な地位権益を主張する勢力が現われ、その地位権益を守るため、南京政府の北伐に対抗して出兵しなければならないと主張する。特殊な地位権益といっても、日露戦争でロシアから割譲を受けた満州鉄道とその付属地での地位権益が主であるが、この地位権益を田中義一内閣が一方的に満州全体にまで拡大してしまったため、日本と係わりのある範囲が余計に拡大してしまっている。そして、その拡大された権益の範囲内へ日本国民が移住し、それが日本政府の勧誘に基づいてなされたものであれば、北伐から予測される日本国民の被害を放置しておくことはできない。だから、どうしても出兵せざるを得ないというのであるが、これは、日本国民の利益が中国国内の統一に優先するという思いあがった考えから生まれたというしかない。
 もとより、そのような考えに国際的な共感を得られるはずもなく、日本は国際的に孤立していかざるを得なくなる。しかし、一方では現実に満州の地に日本国民が移住しているのであり、そのまま放置しておくことのいできないのもそのとおりであろう。では、どうすればいいのかとなると、いったん日本国内への帰還を促し、中国の統一が完成されたのち、改めて、満州での日本の権益をどう補償すべきかを交渉すべきではなかったか。
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by nogi203 | 2006-03-14 14:07 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第252回 スターリンの個人崇拝

 五ヵ年計画の目的は、短期的成果の実現にある。一刻も早く先進工業国に追いつこうというものである。このような計画が成功するための要件は何か。まず、命令権者の権威の確立と維持であろう。そして、命令を実行するものに大きな権限を与えることであろう。さらには、命令を従順に受け入れる国民的土壌の存否ではなかろうか。このうち、すくなくとも、ロシアには最後の要件は備わっていた。上からの命令に耐え忍ぶ国民性がロシア国民の特性であるからだ。
 第三革命後のロシアには、さらに二つの要件が加わった。スターリンの権限掌握と反対勢力の大量粛清、そして共産党のロシア各地への浸透である。これによって、上からの一方的な意思が一切の抵抗を排して貫徹されるようになったと解する。しかし、その一方的意思の発信は、何もスターリン個人である必要はなかった。スターリンを始めとする共産党幹部の集団指導でもよかったし、そのための機関を設置することでもよかった。それが、個人崇拝による権威の確立へと偏向したスターリンの政治姿勢はやはり、どこか異常さを感じずに入られない。
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by nogi203 | 2006-03-13 13:32 | 歴史分析