日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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さあ 世界史を語ろう。 第179回 法の外に置く

 エルバ島を脱出したナポレオンは、新しい政権をブルジョア的自由主義に基づくものとして規定する。タレイランとしては、こうした規定による政権であるならば、ナポレオンを法の外に置くと同盟諸国に宣言せざるをえない。なぜなら、タレイランはフランスを農業中心の国家と規定し,ブルジョア的拡大主義には反対しているからである。いってみれば、ナポレオンは退位以前と何ら変わっていないということであろう。これが、農民を支持基盤とすると規定されてしまえば、タレイランとしても反対しようがなく,法の外へという宣言もなされなかったであろう。いうならば、ナポレオンはこの時点で,重大な選択ミスを犯したことになり,自らを孤立化させてしまったといってよかろう。
 では、この孤立化はワーテルローの戦いでナポレオンが勝利していたとしたら解消していたであろうか。解消するためには,何よりも、法の外へという宣言を取り消させる以外にはない。果して,同盟諸国がその宣言を取り消すことに同意するであろうか。同意するためには,ナポレオンが拡張主義を改め,フランス国内の統治に専念することしかないであろう。だが、戦勝によってブルジョアジーの支持を高めたナポレオンがそのような後退をするはずもなく,後退しない限り、法の外への宣言も取り消されることはない。
 従って,戦いはどちらかが消耗しつくまで続くことになるが、フランス一国でそのような消耗戦に耐えられるはずもなく、やがて、降伏せざるを得なくなったことであろう。
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by nogi203 | 2005-09-30 11:15 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第178回 タレイランの予見

 タレイランはフランスは農業に重点を置き,商工業はイギリスに譲った方がいいといったが、まさにそのとうりであろう。農業者の利益を守るだけなら,国外にまで軍を出すこともなく,侵略してきた敵から防衛していればよいことになる。ところが、ブルジョアジーの利益まで配慮すると、市場を求めて国外にまで軍を派遣しなければならなくなる。実際、ナポレオンはそうしたブルジョアジーの利益を考慮したからこそ、国外にまで戦場を広げたのであろうが,それでブルジョアジーがすべて満足したわけではない。国外に戦場を拡大し,、それが大陸封鎖にまで及ぶとブルジョアジー自体の利益にも影響が及んでくる。そうなると、ブルジョアジーはそれまでのナポレオン支持をたちまち転換して、自分達にとって都合のいい支配者は誰かと探し出す。
 このようなありさまであるからこそ、モスクワから敗退し,フォンテンブローで退位するまでの間、連合軍に対して巻き返す形勢を示しはしても,その後の支援を続けようとはしない。ブルジョアジーとは、そのようなものであり、そのブルジョアジーに支援の重点を置きすぎたがためにナポレオンは失敗したともいえよう。そして、そうした失敗を予見していたのがタレイランであり、予見の根拠となるものは、ブルジョアジーの本質を見ぬいていたことによるものと解したい。
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by nogi203 | 2005-09-29 13:41 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第177回 イングランド銀行対フランス銀行

 イギリスは産業革命期にあり、その内閣はブルジョアジーの支持によって支えられている。一方、フランスは産業革命の始期であり、ナポレオンの政権はブルジョアジーの支持によって支えられている。とすれば、ヨーロッパの市場はイギリスのブルジョアジーとフランスのブルジョアジーによる市場の奪い合いであったという見方もできよう。その場合,イギリスにはイングランド銀行という背景があり,フランスにはフランス銀行という中央銀行が新たに創設されて,その対抗勢力となっている。それは、ヨーロッパ市場の奪い合いというのは、背景ではイングランド銀行とフランス銀行との争いであったという見方もできるということである。
 しかし、フランス銀行がこの時,中央銀行としての信用力を備えるには,流通貨幣の裏付けとなる資産の蓄積がなければならなかったはずである。そのような資産を急に積み立てることは相当に困難なことと思われるが,それを可能にしたことこそ、ナポレオンによる戦勝ではなかったか。
 即ち,ナポレオンは戦勝によって相手から賠償金を取り、特別に寄付を強要したりして、自分の特別会計に積み立てている。この積み立てた資産こそが、フランス銀行の信用力の背景になってとすれば,まさに、ナポレオンの戦勝こそが、近代フランスの産業資産を形成したといえることになろう。
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by nogi203 | 2005-09-28 13:37 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第176回 アミアン条約締結

 英仏間で締結されたイーデン条約は穀物の自由取引と、関税撤廃を内容とする。これによって,被害を受けたのはフランスの農民とブルジョアジーである。産業革命進行中の国と、まだその緒に就いたばかりの国では産業競争力に差がありすぎるという思いからである。この条約締結の責任者のカロンヌはそのために失脚するのであるから、この条約は革命期間中は停止されていたとみなしうるのではなかろうか。
 という前提に立った上で,ナポレオンがマレンゴの勝利の後,対仏同盟国と結んだアミアン条約をみてみると、イギリスはそれによってイーデン条約の停止が解けるものと期待していたふしがないでもない。それは、イーデン条約の更新ということになろうが、それが実現されないことが明らかになると,イギリスの方からアミアン条約を破棄しようという動きが出てくる。
 このことは、条約への期待が裏切られた結果と見られるのであるが,この期待はそもそも始めから持つべきものではなかったと解すべきではなかったか。なぜなら、ナポレオンは,農民とブルジョアジーの支持によって皇帝の地位にあるのであるから、彼らの被害につながるイーデン条約の更新などありえないことは明白であるからである。
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by nogi203 | 2005-09-27 15:01 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第175回 ナポレオン、皇帝へ

 総裁政府にかわるものは、統領政府である。ナポレオンは、その第一統領である。第一であるから、第ニ,第三もあるわけであるが、それらは第一の顧問的存在であり,実態は大統領であるナポレオンの独裁である。独裁などといえば,民衆は拒絶するところであろうが,この場合、民衆とは革命で利益を得たブルジョアーと農民であり,ナポレオンが彼らの利益を保護することを保証するとすれば,独裁といえども拒絶する理由はない。その保護を明文化したものが、ナポレオン法典であるとすれば、その保護は益々強化されたと受け止めることができる。
 とはいっても、ナポレオンとて不死ではない。ナポレオンが亡くなり,王制が復活し、元の政治体制に戻れば、彼らへの保証も取り消しにされ、それどころか王殺しの張本人として迫害を受けることになるかもしれない。とすれば、ナポレオンが健在のうちに、そのような王制復古が二度と起こらないように手立てを講じておかなければならない。
 その手立てとは,ブルジョアや農民にとっては、ナポレオンを皇帝に就け、その地位を世襲化する以外にはない。かくして、ナポレオンは戴冠することになるが,それは、ナポレオンが望んだものでもあろうが、同時に民衆の要望でもあったということができるのではなかろうか。
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by nogi203 | 2005-09-26 14:37 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第174回 ブリューメールのクーデター

 ナポレオンは自分が歴史に登場してきた経緯が特異な事態によるものであることをようく理解していた。だから常に、政局を睨むことを忘れない。そして、政局を睨んでいるが故に、その行動も常に政局を意識したものとなる。
 政局の均衡状態が若干安定したとすれば、ことさら安定を揺るがす行動をとる必要はない。黙々と、次ぎの政局の動きだすのを待つだけである。しかし、待つといっても、ナポレオンのことであるから、常人の待つという状態とは異なる。エジプト遠征などという軍事行動も、ナポレオンにとっては、待つ間の行動である。しかし、そのエジプト遠征の途中で、政局が動き出したと見れば、エジプトを脱出することを躊躇しない。
 この時の政局の動きとは、左派の勢力が増大し、均衡が崩れる兆しが見えたことである。そのような時こそ、均衡維持を望む勢力はナポレオンの登場を期待するのである。そして、その期待は一般民衆の間にまで拡大する。
 そのような政局の動きを察すれば、ナポレオンの行動に迷いはない。軍の力によって、左派に牛耳られようとする議会を支配し、ここに、総裁政府の一員としての地位を占めることに成功する。世に言う、ブリューメールのクーデターである。
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by nogi203 | 2005-09-25 14:01 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第173回 総裁府とナポレオン

 ナポレオンの優れているのは戦術眼だけではない。ナポレオンは自らの権力が、どのような政治的基盤の上に立っているかを正確に見抜き、政局観も戦術眼同様に優れていた。
 いうまでもなく、フランスは共和制であり、共和制である限り、議会が国政の中心であり、議会の決定に一軍人にすぎないナポレオンは従わざるを得ない。そして、その議会は今、右と左の均衡の上に維持されていることも知っている。その均衡を象徴するものが総裁政府であり、総政裁府こそがナポレオンの権力の基盤となっているのである。
 とすれば、ナポレオンがイタリア遠征のかなたから行ないうるのは、総裁政府の維持を図ることであり、総裁政府を喜ばせることである。そのためには、選挙によって伸張した王党派を武力で押さえこんだり、外敵から徴発した軍費や美術品をフランスに送還したりなども行なう。いうならば、忠実な番犬役を務めていたわけであるが、もとより、ナポレオンの野心はそのような役回りで収まるわけではない。総裁政府がその野心に気づいた時に、ナポレオンを押さえきれか否かが次ぎの課題となってくる。
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by nogi203 | 2005-09-24 14:36 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第172回 平原派とナポレオン

 平原派というのは、王党派と共和派の間で優勢な方についてきた中間派のことである。それが、王党派ことジロンド党が、共和派ことモンターニュ派によって排除され、そのモンターニュ派を今度は平原派自身がテルミドールの反動で排除してしまうと、平原派自らが革命を指導していかなければならなくなる。今まで、主体性をもたなったものが、ここで始めて、主体的に行動しなければならなくなったわけである。
 この時、排除したとはいえ、まだ王党派や共和派の残党が残っていたことは間違いない。平原派が政権を担当しようと決意した裏には、もちろんそうした残党を撃退できるという自信を持っていたのであろうから、その準備も備わっていたものと解せよう。
 その準備として最も重視したのは、いうまでもなく憲法の改正であり、それによって自らの地位を万全しようと企てることになる。しかし、そのことは同時に改正によって不利益を受けるものの反発が予想されることであるから、それを鎮圧する実力も備えておく必要のあることをも意味する。鎮圧する実力あるものは、この場合、軍隊しかないわけであり、平原派はまさに、国民公会を押さえている限り、その軍隊を指揮命令する権限が与えられているといえる。
 かくして、平原派は共和派の反発を押さえることに成功して、いったんは政権を安定化させることにはなるが、しかし、それは共和派の実力が軍の力でも押さえきれる程度のものでしかなかったからであろう。ところが、軍の力が国境で他国との紛争に裂かれ、パリ市内での防備が手薄になると、反対派の抵抗を鎮圧するには手持ちの軍だけでは間に合わなくなってくる。ここに、平原派はせっぱつまった状況に追いこまれ、本来なら、ありえないはずの決断をあえて行なわざるをえないことになる。それこそが、ナポレオン・ボナパルトの起用である。
 ナポレオンはモンターニュ派の後ろ盾で頭角を現し、モンターニュ派の失脚とともに出世コースから外れていた人物である。その人物を反乱王党派の鎮圧に起用するということは、平原派にとって、ある種の賭けでもあろう。モンターニュ派の粛清に憤慨しナポレオンがいつ平原派に大砲の砲口を向けるかわからないのである。その心配は杞憂に終わるが、しかしそのことが逆に、平原派にナポレオンへの借りをつくることになる。以後、革命はナポレオンを中心にして回転していかざるをえなくなる。
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by nogi203 | 2005-09-23 14:20 | 歴史分析

自助努力への支援

 企業年金を持たない企業が確定拠出年金を導入した場合、その拠出限度額は36,000円であったが、その限度額は平成16年10月から46,000円に拡大されている。
 そもそも、この上限額の基準は厚生年金基金のプラス・アルファ部分の免税額を基準としたものである。そのプラス・アルファ部分の免税相当額は厚生年金基金の代行部分を支給するのに必要な資産の1.7倍に達するまでの額とされている。その基準に合わせたというのは、企業年金を持たない企業に勤務する者の不満をあらかじめ封じたものと解してよかろう。
 しかし、今回の年金改正において、厚生年金基金のプラス・アルファ部分の免税基準点が変更されたということは聞いていない。にもかかわらず、確定拠出年金における拠出限度額が拡大されたというのは、確定拠出年金という自助努力が大きな割合を占めるものについては、行政の支援も厚くしようという行政の意思の現われではないか。
 社会保険料は上がり、増税も噂に上る状況ではあるが、こうした行政の厚い支援策を活用すれば、そうした負担増を超えた収入増を実現することも不可能ではない。要は、自助努力である。自助努力もしないで、政府の保護だけを当てにしている時代はもう終わったと自覚することである。
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by nogi203 | 2005-09-22 13:53 | 年金話あれこれ

さあ 世界史を語ろう。 第171回 公安委員会の没落

 公安委員会の独裁権は範囲が限定されていたとみなすべきであろう。とすれば、その範囲を超えて独裁権を行使しようとすれば、抵抗を受けることは当然であったろう。例えば、国有財産を貧乏な人々に分配するとか、土地を所有していない農民に貴族から徴収した土地を優先的に売却するなどという決定は、ブルジョア階級にはとうてい認められるものではない。ロベスピエールを指導者とする公安委員会はそこまで踏み込んだがために、失権せざるをえなかったのではなかろうか。
 しかし、その理念は尊ぶべきものであり、ロベスピエールが死んだからといって、永久に消滅してしまうものでもなかろう。とはいっても、このことの影響は公安委員会の抜擢により、政府内に地位を得たものにとっては、たちまち、その地位の喪失に繋がるものであり、例えば、ナポレオン・ボナパルトも、公安委員会の支配時代に登用された者の一員であるから、ここでいったん、出世の道を閉ざされることになったとみなければなるまい。
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by nogi203 | 2005-09-21 19:52 | 歴史分析