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さあ 世界史を語ろう。 第129回 名誉革命と権利章典

 チャールズ2世は迎えられたといっても、議会の決めたことに同意することを条件にして迎えられたのであるから、議会に対して強い立場であったとはいいがたい。しかし、とはいっても、チャールズ2世は議会にも弱みがあることを十分に知っていた。それは、議会が必ずしも一枚岩ではなく、意見の相違によって分裂した集団からなっているということである。となれば、議会と対立し、もはや、議会の存在を否定することはできない王としては、その中から王に近い側の集団を味方につければ国政の主導権を握れると考えるであろう。
 こうして、王に近い集団としてのトーリー党を与党とする政権が誕生することになるが、この時、王を主権者としての地位につけておくか否かを決めるのは、議会の側に移っていたことにチャールズ2世は気付いていたか。気付いていようがいまいが軍がチャールズ2世に忠誠を尽くしているのであれば、そのようなことは心配することではない。専制的に行政権を行使して、反乱が起こるようであれば、軍を使って鎮圧すればよいだけである。
 だが、軍が国王の命令に従わないとすれば、国王は議会に対して、何の力もない、ただの一個人に過ぎないことになる。かくして、のような事態がイギリスをカソリック化しようとした時に生じることになる。
 もしこの時、チャールズ2世に代わりうる国王候補者がいなければ、チャールズ2世も議会に対して自らの存在を誇示することができたであろうが、他にオレンジ公ウィリアムという候補者がいたために、その価値も認められることはない。
 こうして、名誉革命が成功するが、議会はその成功を単なる幸運に委ねたままにしておくことはしない。今回はたまたま軍がチャールズ2世の命令に従わなかったからこそ成功したが、他の場合はどうなるかは確信が持てない。そうした不安を払拭するためには、常備軍の召集を議会の同意の下でしか認めないことである。そうして、新しく国王となったウィリアム3世につきつけて承認させたものが権利章典である。
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by nogi203 | 2005-06-30 14:40 | 歴史分析

国際会計基準に揺れる中小企業

 現代は投資家の時代である。新しい国際会計基準が導入されるなどということは、まさにその象徴である。連結決算の適用、資産の時価評価、そして年金給付債務の開示などは、企業側から求めることなどということは、これまでの基準からいえば絶対にありえない。投資家の強い要求があってこそのものである。そして、問題をより複雑にしているのは、投資家定義の拡張である。既成の定義でいえば、投資家とは株式市場や債券市場で資金を運用する者に限定されていたかもしれない。ところが、新しい国際会計基準によれば、企業に直接融資を行なう金融機関も当然含まれることになる。
 となると、株式市場や債券市場とは何の関係もなかった中小企業もその影響をうけざるをえない。特に、年金給付債務の開示という問題においてではある。単独で経営を行なっている中小企業であれば、連結決算などは無関係である。株式市場や債券市場で資金運用をしていない企業であれば、保有金融資産の時価評価などと言うことも無関係である。
 しかし、たとえ中小企業であるといえども、退職金規定があれば、年金給付債務の開示という問題は無関係ではありえない。融資を受ける金融機関からはその現状の説明を求められることは避けられない。説明の通告を受けると、中小企業の経営者としては改めて、退職金問題を考えなければならなくなるのであるが、深い知識があるわけではない。そこで、金融機関に依頼して専門家の意見を聞かざるをえなくなるのであるが、知識量の格差があるため、いいなりにならざるをえない。思えば、投資家の要求が強くなったという時代の変化の結果、中小企業主は企業経営の重要な部門での主体性を失ったということになる。
 さらに問題を拡大させるのは、従業員への対応問題である。従業員としては、それまで見たこともない部外者が頻繁に会社に出入して、経営者となにやらこそこそと相談している場面を目撃することになる。しかも、その相談の詳しい内容はわからない、となると不安が生じてくることになる。
 経営者の責任として、そうした不安を放置しておくことはできない。だから、いち早く従業員に不安を取り除くための説明を行なわなくてはならないのであるが、それを怠ったがために、いざ、退職金規定を変更するという段になって、労働組合と衝突するというような事態も生じかねないことになる。
 そのようなことは仮りに、確定拠出年金の導入を決定したとしても、肝心の労働組合の同意が取り付けられず、地方労働局への認可申請も行なうことが出来ないということになるかもしれない。だから、中小企業の経営者としては、くれぐれも、労働組合もしくは労働者の過半数を代表する者との意見交換は密にしておかなくてはならないであろう。そうしたことこそが、新しい退職金規定の導入に際してのスムーズな移行につながっていくものと心得るべきであろう。
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by nogi203 | 2005-06-29 14:08 | その他

さあ 世界史を語ろう。 第128回 王権復活

 イギリスは王と議会が互いに譲歩することによって、国内秩序を維持してきたとみなしてよかろう。それが、ピューリタン革命によって、王が存在しなくなり、議会だけが国内統治に全権限を行使するようになった。その結果、議会は腐敗し、猟官運動が頻繁になるという事態を迎えざるをえなくなる。
 これではいけないと思って、クロンウェルは議会を軍の力で統制しようとするが、それもうまくいかない。ついには、自ら護国卿となって、王の代わりを務めようとするが、独裁化を非難され、統治はうまくいかなくなる。その結果、やはり、議会を制御する機関として王権が再認識され、大陸からチャールズ2世を迎えることになるが、それも、議会と協調することを同意させたうえでのことである。
 とはいっても、要請を受けたという事実に間違いはなく、要請を受けた当人のチャールズ2世は要請を受けたという事実に基づき、議会に様々なことを要求できるものと理解するのも、又当然のことであろう。
 もちろんそれは、国王自ら王権を行使するということではないから、国王に代わって、行政の執行責任者となるものが、新たに歴史に登場してくることになる。それこそが、クラレンドン伯であり、キャラバと呼ばれる執行者の一団であるが、これこそが、議会制度における責任内閣制のはしりといえるものかもしれない。
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by nogi203 | 2005-06-28 14:41 | 歴史分析

労働関係法における女性の権利

 労働関係法上、女性独自の権利として強く認められているものとしては、まず、産前休業の請求権、生理休暇の請求権、そして、セクハラ調停への女性からの一方的申し出などがある。
 このうち、権利として最も強いのは、産前休業の請求権であろう。その請求に対し、事業主はいっさいの抵抗が出来ない。請求されたら無条件に認めるしかない。ただ、休業期間中の給与を無給にするぐらいのことしかできない。しかしそれも、雇用保険から育児休業基本給付金の支給があるし、健康保険からも出産手当金があるので金銭的な不安を与えることも出来ない。これらは、法律上当然の権利として受給できるのであるから、権利性としては最上位にあるといってもよかろう。
 次に権利として強いのは、セクハラ調停への女性からの一方的申し出ではなかろうか。この申し出については、均等法改正前は事業主、女性労働者双方の合意がなければ認められなかったのであるから、女性の権利として実効性が備わったといえよう。事業主としては、訴えに抵抗することが出来ない。そして、訴えられたら、殆ど負ける。ただ、訴えを介在しなければならないという点で、産前休業が法律上当然であることに比べて及ばないというべきか。
 そして、最後に生理休暇の請求であるが、これには賃金の保証もなく、ただ、申し出ると殆ど無条件で認められるというだけにすぎないから、権利性の内容としては前二者にくらべて弱いといわざるを得ない。
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by nogi203 | 2005-06-27 14:08 | 労働基準法の穴

さあ 世界史を語ろう。 第127回 チャールズ1世の処刑

 ジェントリーを中心とするブルジョアジーにとって、議会至上主義は諸刃の剣である。確かに、王権からは解放されはするが、それは同時に、小農民への解放にまで及ぶ恐れがあるものであろう。そのようなことになれば、ブルジョアジーの階級的利益をも犠牲にしなければならない。
 そうした事態を回避する方法は小農民等の選挙権に制限をつけるしかないであろう。しかし、そのようなことをすれば、小農民等の下位階級層から構成される水平派の支持を得ることはできない。水平派は既に、人民協約という政治綱領を公表し、人民すべてに選挙権を与えることを主張しているのである。
 となれば、ブルジョアジーを中核とする独立派としては水平派に取引を持ち掛けざるをえない。取引とは、チャールズ1世の処刑である。もちろん、独立派にはその取引に成算はあった。それは独立派が長老派と分裂し、チャールズ1世からの反撃に独立派が窮地に陥った時、水平派の指導者ジョン・リルバーンが独立派と水平派の反目があったにもかかわらず、救援の軍を送ってくれたことがあったからである。つまり、独立派としては、水平派がなによりもチャールズ1世の存在を排除することを優先していると認識していたのではないか。
 そうした支持があったからこそ、独立派の指導者オリバー・クロンウェルもチャールズ1世の処刑を決断できたのであり、その代償として第2人民協約によって、制限選挙をかちとることになる。
 一方の水平派としては、チャールズ1世を排除するという目的は達成することができたが、その結果、議会に代表を送り発言するという成果を得られなかったのであるから、独立派との提携という選択が本当に正しかったかどうかという疑問の残るところとなった。
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by nogi203 | 2005-06-26 16:31 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第126回 イギリスのジレンマ

 エリザベス1世に子がなく、イギリス議会は王制継続のための国王をスコットランドから迎えざるをえなかった。その国王こそヘンリー8世の姉であり、エリザベス1世の叔母でもあったマーガレットからつながるジェームス6世であったが、ジェームス6世にとって、迎えられたということはは頼まれたから来てやったということになるであろう。頼まれたから来てやったのであるから、その立場は強い。一方、議会の方からみれば、お願いして来てもらったのであるから、立場は当然弱い。
 ジェームス6世改め、ジェームス1世は立場が強いことを自覚しているから、当然、議会に対して言いたいことを言えるものと理解する。王権神授説などというものは、まさに、そうしたジェームス1世の頼まれたから来てやったという強い立場が言わせたものではなかろうか。
 それに対して、議会も本来ならば強く抵抗したいところでがあるが、頼んで来てもらったと事実がある以上、そこまでのことは出来ない。かろうじて、エドモンド・コークがイギリスには古来からの慣習法があるといって抵抗するだけが精一杯であったろう。それでも、ジェームス1世の側近フランシス・ベーコンを収賄罪で告発するだけの抵抗を示しはするが、些細な抵抗であったとしかいわざるをえない。
 こうした関係はジェームス1世の治世が続く限り耐え忍ばねばならないが、その期間は22年間も続く。しかし、その治世が終わり、子のチャールズ1世が国王の地位に就くと、関係は微妙に変化してくる。確かに、ジェームス1世は議会が頼んで来てもらった国王であるが、チャールズ1世はそうではない。ジェームス1世には遠慮しなければならなかった部分もチャールズ1世に対しては徐々にではあるが緩んでいる。その緩みが具体的な反応となって現れてくるのが、エドモンド・コークらによる権利の請願ではなかろうか。
 その第一章では、議会に同意を求めることなく、公債受け入れや献金を強要することは出来ないとなっているが、この程度の要求さえ請願という形をとらざるを得ないのである。しかも、こうしてことは、新たな議会から国王への要求ではなく、既定の権利の再確認という程度のものである。そして、こうした程度にならざるをえないということが、まだまだ、頼んで来もらったという引け目がもたらす遠慮と解さざるを得ないのであるが、それにも限度があるとみるべきであろう。
 その限度に気付きさえすれば、チャールズ1世も議会との円満な関係を維持できたであろうが、以後の事態の推移は、そうした気遣いはなかったと解さざるを得ない。
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by nogi203 | 2005-06-25 16:51 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第125回 オランダの選択 その2

 商業の発展、拡大には平和が大前提であろう。だから、オランダの商業貴族が戦争を回避し、和平を求めようとするのは、当然のことであろう。しかし、戦争を回避したいという気持ちでは農民、市民も同様であろうと思われるのに、オランダではそれらの階層はむしろ、戦争支持の方向に傾いていく。これは、なぜであろうか。
 オランダという国はパプスブルグ家からの独立を目指して、長い戦争を経験してきたという歴史がある。その経験から学んだことは、自主独立の精神ではないか。であるならば、仮りに和平によって安定した商業活動を保証されたとしても、政治的に強大な勢力の従属下にあったのでは、そもそもの建国精神に反する、ということにならないか。それならば、あえて戦争への道も辞すべきではない、という考えが彼らの選択となったと解したい。
 その結果、いったんは商業資本を代表するヤン・デ・ウィットが政治的指導者となるが、やがては、農民、市民の支持をうけたオランニェ公ウィレムに国政指導を委ねることになる。
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by nogi203 | 2005-06-24 13:51 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第124回 オランダの選択

 オランダは小さな国であるが、その小さな国から発信された問題は現代にも通じる大きな問題でもある。特にその中でも、社会を統括する基本ルールに関しては、現代においても最終的な解決は見られていないというべきではないか。即ち、能力主義か平等主義かという問題である。
 能力主義を採用しようとするものは規制を撤廃し、自由に企業家としての活動を認めよと主張するであろうが、平等主義を唱えるものはものは社会的な不平等を生み出すことになる自由主義は、極力排すべきであると主張する。
 オランダにおいて、前者を代表するものは連邦議会に政治的な意思決定を委ねようとするが、後者を代表するものは、連邦議会に優越するオランニェ家の政治的権威の下に、国家の統合をはかるべきだと主張する。この関係は、まさに今日、日本企業が年功序列主義をとるか、能力主義をとるかという問題と共通するものを含んでいるとみなしうる。それならば、、今日の日本が次代の人事労務管理政策を考察する場合、その参考とすべきは17世紀のオランダにあるというべきではないか。
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by nogi203 | 2005-06-23 14:37 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第123回 大国フランス

 国家という共同組織体が発展、拡大するには政治的課題に現実的な対応が出来るか否かにかかっているのではなかろうか。それは現場において実際の処理にあたる者にとっては、そのような人物が指導的地位に座って、彼を背後から支えているか否かという問題でもある。
 という意味で、17世紀フランスがヨーロッパの大国としての地位を固めるについて、そのような現実的対応の出来た人物としてブルボン王朝を創始したアンリ4世と、ルイ13世治下の宰相として内政、外交に辣腕を振るった枢機卿リシュリューがあげられるのではなかろうか。
 アンリ4世については、新旧両派の争いをナントの勅令によって、新教徒への諸権利をも公認することによって両派を調整し、リシュリューについては同じ旧教国スペインの勢力拡大を抑えるため、あえて、新教徒側のドイツ諸侯やデンマーク、スウェーデン国王を支援したりするなど、不毛な宗教論議に加わることなく、いかにすればフランスの国益に叶うかという現実的な視点に立って政治的な決断を下していると思われる。
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by nogi203 | 2005-06-22 14:04 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第122回 30年戦争の後

 30年戦争はヨーロッパの姿を大きく変えた。なによりも、大きな変化はヨーロッパを統括する政治的権威が衰退したことであろう。
 その代表が神聖ローマ帝国という伝統的な政治的権威。神聖ローマ帝国の支配下にあると目される領域は小国に分裂し、それぞれに外交上の主体性を主張する。それに対して、神聖ローマ帝国の統制力は及ばない。
 次に後退した政治的権威はパプスブルグ家。ネーデルランドという金の卵を失い、財政力は弱体化する。そして、最後にローマ法王庁。プロテスタントの自立を阻止しえず、カソリックによる宗教的権威の独占という地位は永久に失われることになる。
 以上のようなヨーロッパを統括してきた伝統的政治的権威の衰退は、他方、新たな新興国の誕生をもたらす。ネーデルランドの新教徒はパプスブルグ家の支配を脱し、新しくオランダを建国する。スイスの新教徒はローマ法王庁からの干渉を排し、パプスブルグ家の武力干渉からも逃れて、永世中立国としての地位を承認される。
 まさにヨーロッパは生まれ変わったといえようが、ただ、そのことはヨーロッパ全体を統一する基本的ルールのない世界が出現したということでもある。そこには、当然、国家同士の衝突が予想されるわけであるから、次の時代の課題として、そうした衝突を事前に回避するための新しい知恵が求められることになろう。そうした中から、フーゴー・グロチウスの国際法という理念が生まれてくることになるのであるhが、それが法制化されるまでは、まだまだ、歴史の試練を経なければならない。
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by nogi203 | 2005-06-21 14:10 | 歴史分析