日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
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<   2005年 05月 ( 30 )   > この月の画像一覧

さあ 世界史を語ろう。 第105回 鉄は国家なり

 鉄は国家なりという。鉄の生産は国家の盛衰を決定付ける。しかし、その鉄を精錬するには熱源が必要となる。ということは、熱源を確保できるか否かが鉄の生産力向上に決定的な要因となることになる。ということで、その熱源であるが、宋代中国においては石炭を熱源として活用する方法を実用化することに成功する。その結果が東方文化の西方文化への圧倒であり、中国は宋が滅亡し、元の時代になっても、なお、世界の文明の中心地としての地位を守ることになる。
 ただ、ここで問題は中国ではその文明創造の根源を科学的な探求に向けることなく、単なる経験則による知恵に求めたことではなかろうか。経験則による知恵も有益ではあろうが、普遍的な結論を導き出すには歳月がかかりすぎる。諸色の価格が長期的に安定している時期にはそれでもよいかもしれないが、大きな変動に見舞われる時期には、それでは、市場における商品化と利潤獲得の機会を永遠に失ってしまう。そこはやはり、原理、原則を科学的に探求することにより、発見した真理を生産に結びつけていく方が、はるかに効率的であるというべきであろう。産業の近代化において、中国がヨーロッパに遅れをとった原因を辿ってみれば、そこにはやはりそれ相応の理由があったとみるべきである。
 しかも、中国の鉄の精錬技術は機械の製造に向かうと言うのではなく、黄銅鉱から硫黄を分離するために使われたとか、磁器の製造に使われたなどと、鉄本来の用途からかけ離れた分野で多く使われたことに問題があったといわねばならない。これでは、とても鉄は国家とはなりえない。
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by nogi203 | 2005-05-31 15:33 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第104回 朱子学の発展

 権力を掌握するのは官職である。唐代まで、その官職に就けるのは貴族だけであった。しかし、五代十六国時代を経て、宋の時代になると、貴族でなくとも科挙に合格したものも官職に就けることになった。ここに、新しい社会の支配層が形成されることになり、それにつれて思想、文化も変化してくることになる。その代表的なものが宋学である。
 宋学は仏教にあって、儒教には不足していた論の部分を補強する役目を担って発展する。それによって、合理的な考え方が生まれてくることになるが、それは他方、生活規範としての律(仏教)礼(儒教)にも新しい規範をもたらすことになる。それこそが朱子学であり、朱子学において定められた生活規範が社会全体に影響を及ぼすことになっていく。そして、その規範性の強さが東アジア社会を停滞的な社会に固定化していくことになる。
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by nogi203 | 2005-05-30 15:22 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第103回  元朝崩壊

 白蓮教などという邪教集団が暴れたとか、塩の闇商人が暴動を起こしたからという理由だけで国家権力が揺らぐということはない。そうしたことも元朝が倒れる原因のひとつであろうが、直接的な原因になったとは思えない。いくら、他民族支配への抵抗があったとはいえ、相対的な原因にとどまるものであろう。
 とすれば、元朝崩壊を自滅と仮定して、そこに至るまでの元朝内部の問題は何かということになろう。それには例えば、相続制度の未整備や官僚養成制度の不備などの問題があるであろうが、たとえそれらが整備されていたとしても、他民族をいつまでも支配しつづけるということ自体に問題がある。
 結局、そのようなことを続けるというのは相当に困難である。ことに、元朝は中国本土を支配したの歴史上最初の異民族王朝である。歴代の中国王朝の統治方法を参考にしたとしても、支配を受ける側からすれば、違和感を感じざるをえないであろう。それは内部的な問題を解決したからといって、ぬぐいきれるものではない。
 その結果が元朝崩壊に至ったと解するが、一方の市民社会にしてみると、元朝が元のとうりモンゴルの草原に帰ったとしても、市民社会そのものは依然として残ったままなのであり、では、その後は、誰がその市民社会に秩序を与えるのかということが次の重大問題となる。
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by nogi203 | 2005-05-29 15:07 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第102回 北方遊牧民問題の解消

 南宋は滅んでも市民社会は残っている。市民社会にとって、最も政治に求めることは、社会の安定と安全である。それさえ、保証されるのであれば、政権が漢民族の支配下にあろうとモンゴル民族の支配下にあろうと構わないというのが本音であろう。そのことは、新たに中国本土の支配者になったモンゴル民族からすれば、市民的権益を擁護する政策さえ実施していれば、中国を支配することができるということでもある。
 それこそが現実であり、現実を受け入れるからこそ、漢民族はいくらモンゴル民族が天命を受けて中国を支配するなどといって優越的は立場を強調しようとも、ことさら否定しようともしない。 実際、そうした現実を受け入れてみると、元朝社会は市民生活にとって、それほど住みにくい社会ではないかったのではなかろうか。その証拠となる第一の事実は、なによりも北方遊牧民族の侵入という漢王朝にとって宿命的な課題が解消されたことであろう。なにしろ、元朝自体が遊牧民族出身なのであるから、その侵入を恐れる心配がないのであるから。
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by nogi203 | 2005-05-28 13:51 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第101回 モンゴル民族の世代間対立

 チンギス・ハーンはシルクロード上の国家が特別な生産品もないのに、大いに繁栄している状況を若い頃から見てきたことであろう。そしてその原因が、交易上の要地を占めていることにあると気付けば、モンゴルも大いに繁栄し、豊かになるためにはシルクロード上の要地を占領すればよい、という結論に達したであろう。
 しかし、そうした方針をモンゴル民族全体の意思として実行するには、民族としての合意が必要である。その合意を形成するのに、最も影響力があるのはいうまでもなく古い伝統的な権威を背景とする長老階層であろう。この長老階層を説得してこそ、チンギス・ハーンは民族の総力をあげて征服事業にとりかかれる訳であるが、いつの時代でも、古い伝統的勢力は若い行動力の台頭を抑えようとする。チンギス・ハーンの積極的な意思も、そうした抵抗に遭遇せざるをえなかったと解するが、そこで止まっていては、後のモンゴル帝国はない。
 その時、チンギス・ハーンに求められたのは、提案者としての決断と実行力ではなかったか。モンゴル民族興隆の好機が目前にあるのに、黙って見過ごしているわけにはいかない。古い考えには従っていては、モンゴル民族発展の機会は永遠に失われる。断じて、実行しなければならないという堅い決意がチンギス・ハーンを動かしたと解する。
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by nogi203 | 2005-05-27 14:25 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第100回 フビライ・ハーンの南宋攻略

 チンギス・ハーンは西夏、金、ホラズムを征服したが、中国本土の征服にまでは至らなかった。その中国本土を支配していた国は南宋であり、その南宋を征服したのはフビライ・ハーンである。チンギス・ハーンにそれぞれの国を征服しなければならない事情があったのと同じように、フビライ・ハーンにも南宋を征服しなければならない事情があったと解する。
 その事情とは、政権基盤を形成するための支配領土が、フビライ・ハーンについては未確定であったためではないか。つまり、チンギス・ハーンは征服した領土を子供達に分け与えたが、一番可愛がっていたトルィイには領土を与えないままに亡くなってしまう。チンギス・ハーンとしてはそれはモンゴル帝国の中心となる地を想定していたのかもしれないが、寿命が及ばないのではやむをえない。となると、その領土は自らの力で獲得するしかないのであるが、トルィイもその過程で寿命が尽きてしまう。
 残されたトルィイの子供達が置かれた状況は、トルィイが背負った状況と変わることはない。となれば、固有の政権基盤を形成するための支配領土は自らの実力で獲得しなければならない。その子供達こそがメンゲ・ハーンであり、フビライ・ハーンである。
 そして、彼らは目的達成のために南宋に侵入するのであるが、その過程でメンゲ・ハーンが病に倒れたため、フビライ・ハーンが南宋攻略の主導権を握ると共に、攻略後の支配権をも掌握することになる。
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by nogi203 | 2005-05-26 14:09 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第99回 チンギス・ハーンの征服事業

 チンギス・ハーンが実力で征服した国は、西夏、金、ホラズムである。シルクロード上にあるウイグル、キタイはその実力を見て相手側から投降してきたものであろう。そして、実力で征服した国には実力で征服しなければならない事情があったものとみる。
 最初に征服したのは西夏であり、西夏はシルクロード上の東の出入口を抑えている国で、その領内には敦煌があって貿易上の利益を享受している。そこを最初に狙ったというのは、おそらく貿易上の利益を支配することが目的であったのであろう。
 次に征服したのが金であり、これは本来、モンゴルより実力的に下位にあった女真族が国家体制を整え、南宋と対等の立場で交易を始めたことをみて、その増長を抑えることにあったとみる。
 そして最後に征服したのがホラズムであるが、問題は、その征服が当初から意図していたものか、それとも偶発的なものであったかということであるが、このことについては以前にも書いた。しかし、ここまでの西夏、金に対する征服目的からみると、チンギス・ハーンが交易利益を求めていたことはほぼ予測がつく。そうであるとすれば、ホラズムへの対応もそうした目的に沿ったものと解することができよう。即ち、チンギス・ハーンはホラズム皇帝を意図的に挑発し、その領内にあるシルクロードの西の出入口サマルカンドを抑え、交易上の利益の独占を狙ったものとみる。
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by nogi203 | 2005-05-25 13:56 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第98回 遊牧民族の漢化政策

 遊牧民には戦う技術と意思はあっても、国を治める技術と知恵はない。その技術と知恵を持っているのは、農耕定着民族である。とすれば、遊牧民が農耕定着民族を征服したとしても、国を治める技術、即ち、統治技術は農耕定着民族が創造した統治技術を借りるしかない。
 この時代、民主主義などというものはもちろんない。あるのは、皇帝による専制主義である。その皇帝による専制主義も遊牧民がそれまで経験してきた専制主義とは異なったものであろう。いわゆる、漢民族特有の中華意識に染まった皇帝専制主義といってもよかろう。
 そうした意識下のもとでの統治技術をとりいれるのであれば、当然、遊牧民独自の統治方法との調整を図らねばならない。政治における調整とは、粛清を意味することがある。女真族が金国を樹て、海陵王が漢化政策をとろうとした時、同族の女真族の粛清をおこなったのは、中国風の皇帝専制主義に染まった結果であると解せないか。
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by nogi203 | 2005-05-24 14:09 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第97回 宋朝の政策転換

 坑州に都を移した南宋は、軍事費の増大に伴い、増税に次ぐ増税を行なったというが、靖康の変から得た教訓としては妥当な政策転換であったろう。ただ、そうした政策転換が市民の支持を受けるとは限らない。ことに一度は、自由な市民社会を経験したとなればなおさらであろう。とはいっても、金という外敵が厳然として睨みをきかせている限り、そうした政策転換はやむをえない。
 結局、外敵対策をとるか市民優遇対策をとるかの選択になるのであるが、理想としては、外敵が消滅し、外敵からの脅威が無くなっってから市民優遇対策に移行したいというところであろう。問題は、市民がそれまで我慢できるか否か、ということであるから、宋朝としてはなるべく機会を捉えて外敵を除去できるものなら除去したいというのが本音であろう。
 そのような状況下、外敵たる金が自らの漢化政策への移行に伴い、従属下にある女真族を粛清し、その結果、内部が混乱しているという情報が入ってくる。さらに、モンゴルという新たな強敵が出現し、金がそれに対応し切れなくなっているという情報まで入ってくる。こうした新しい情報は南宋の対金対策のみ直しを迫ることになる。それは、金のみを外敵としたそれまでの単純な外敵対策とは異なり、多面的な駆け引きを要求される対策となるであろうが、必ずしも、南宋が主導権を握れる対策になるとは限らない。現実的な力関係によっては、それまでの対金対策よりもより従属的な関係を強要されることになるかもしれない。
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by nogi203 | 2005-05-23 14:19 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第96回 風流皇帝 徽宗

 宋の都、開封は様々なサービス業が殷賑を極めた。サービス業が殷賑するということは、とりもなおさず、そこには市民社会が存在していたということであろう。皇帝はその市民社会の上に乗っていたわけであるが、靖康の変で皇帝が金に拉致されたとしても、市民社会が消滅してしまったわけではない。皇帝などいなくても市民社会は厳然として存在していたわけである。
 となれば、皇帝としては自らの地位を維持したいというのであれば、市民に迎合することなく軍事面を強化すべきであったであろう。なにしろ、市民は皇帝などいてもいなくても構わないのであるから、皇帝としても市民生活の保護など構う必要はなかったともいえよう。
 開封の市民にとって幸運だったのは、こうして時期に皇帝の地位にあったのが徽宗であったということではないか。徽宗は軍事的な方面にまったく興味をもたない。徽宗の関心の及ぶところは絵画、造園等、芸術分野のみである。それは、市民に対して、自由な市民活動を奨励しているかのようにもみえる。
 おりしも、我、室町幕府八大将軍、足利義政と同じく、徽宗もまた、宋朝第八代の皇帝であったことは何かの因縁か。共に、臣下の争いを制御できず、芸術分野の趣味に没頭したことまで同様であった。
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by nogi203 | 2005-05-22 11:23 | 歴史分析