日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
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さあ 世界史を語ろう。 第39回 ローマ帝国の財政破綻

 ローマ帝国に、単年度の国家予算などというものがあったはずもなかろう。そして、こうした古代国家において、国家支出として必要になるものといえば、主に、戦争と大規模公共工事ではなかろうか。とすれば、五賢帝時代において、対外的な戦争がなく、大きな建造物の建築予定もないとすれば、国家は税収入が蓄積されるばかりとなるはずである。にもかかわらず、この五賢帝時代に、ローマ帝国衰亡のきざしが現れ始めるというのはどういうことか。
 この謎を解く鍵は、軍事予算の拡大と貿易収支の赤字にあったとみる。もっとも、軍事予算といっても、タ対外的な戦争のための予算ではない。この時期、ローマの領土は最大に達して世界帝国として君臨していたが、辺境においては、外敵の侵入に備えて、防壁の建造や守備兵の配備に多額の国家予算を必要としていたとおもわれる。
 対ブリテンや対ゲルマン、そして東方においてはパルチア帝国への防備、それらのために、ローマは傭兵を必要としていたであろう。そして、このような国家支出は、かってのように、それによって新しい領土を獲得するために活用されるというものではない。新しい領土を獲得すれば、そこからもたらされる戦利品や奴隷は、ローマの経済を豊かにする原因となったであろうが、このような防衛的な予算はそれらをもたらすものではない。従って、ただ、ローマの経済を疲弊させるものでしかなかったと解せる。
 さらに、国内的には、奴隷労働があいかわらず生産活動の主体であり、生産力の向上も期待できないし、国内市場も広がらない。そうした一方、ローマ市民の消費意欲だけは衰えることなく、益々、増大することになれば、海外からの輸入は増える一方である。事実、それまで発見されることのなかったローマ帝国内の通貨が、それまでの地域以外から発見されているということで、その事実が証明されるであろう。これでは、ローマの経済は衰退へ向かうしかなく、それは同時に、ローマ帝国自体の衰退へとつながっていったものとみなしえよう。
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by nogi203 | 2005-02-28 14:15 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第38回 ユダヤ民族の分裂 その2

 イエスを信奉するユダヤ人とユダヤ教を信奉するユダヤ人の争いの中に、元はユダヤ教を信奉するユダヤ人であったパウロが、この時、イエスを信奉するユダヤ人の側に加わったことで、両者の争いはより深刻化することになる。
 その争いの中に、ユダヤ民族の争いとは何の関係もないはずの、ローマ皇帝ネロが関係してくることになる。それは、紀元64年のローマ市の大火に関する事件である。この大火がネロの放火によるものと噂をたてられたネロは、その罪をイエスを信奉するユダヤ人にかぶせようとする。ここまで、ネロとキリスト教徒との間には、別段の対立もなかったのであるから、このような濡れ衣を着せようとすること自体、理解に苦しむ。
 それには、キリスト教徒がその信仰生活で、当時の公序に反していたからと受け取られたとも解せるが、実際の放火行為の指示について、側近の進言があったことを考えてみると、その側近の中に、ユダヤ教を信奉するユダヤ人に近い人物がいたとも推測しうるところである。
 そして、そのような民族間の分裂は、民族の危機ともいうべき第一次、第二次のローマとの戦いにおいても、キリスト教徒となったユダヤ人は、ユダヤ民族として協同して戦うということをせず、ユダヤ教を信奉するユダヤ人だけがローマと戦い、結局、敗れて諸国をさまよう民をなってしまうのであった。
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by nogi203 | 2005-02-27 16:39 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第37回 ユダヤ民族の分裂 その1

 ユダヤ教を通じてユダヤ民族を支配していたのは、サドカイ人とパリサイ人である。そのユダヤ教の戒律に疑問をもったイエスは、独自な教えをユダヤ人に説いていった。すると、その教えに導かれるものが現れ、従来からユダヤ民族を支配していたサドカイ人やパリサイ人は、縄張りを荒らされるという思いをもつようになる。
 その際、サドカイ人やパリサイ人の強味は、行政者として逮捕権をもっていたことであろう。当然、その権限を行使してイエスを逮捕したが、しかし、刑を執行することについては、ローマ側の行政官の許可を受けなければならなかった。
 時の行政官ピサロは、サドカイ人やパリサイ人の言い分、即ち、イエスが納税義務を怠り、ローマへの反乱を企てているという主張を取り上げ、イエスの処刑を許可する。
 この過程を振り返ってみると、イエスはサドカイ人やパリサイ人の逮捕を権利の濫用として、逮捕の不当を訴えることもできたはずであり、また、ローマの行政官ピサロも、サドカイ人やパリサイ人の主張を一方的であるとして、証拠価値を否認することもできたはずである。それは、裁判としてみた場合、きわめて杜撰であり、まともな審判が下ったとはいえないものであろう。
 とはいえ、当時の情況からみて、一応イエスに関する問題は、イエスの処刑で終わったものともなければならないはずであるが、ここに、処刑後、イエスが復活したという言い伝えが広がることによって、イエスを信奉するユダヤ人とユダヤ教を信奉するユダヤ人との間の問題が再燃することになる。
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by nogi203 | 2005-02-26 14:15 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第36回 権威の失墜

 アウグストゥス以後、ローマは帝政に移行する。しかし、その帝政は大混乱する。その原因は、アウグストゥス自ら悪い先例を作ってしまったことにある。
 アウグストゥスにはユリアという女性以外、自分の子がなかった。そこで、二度目の妻、リヴィアが先夫との間に生んだティベリウスを後継者に指名する。
 神とあがめられたアウグストゥス自らこうしたことを行ったのであるから、後に続く皇帝もそれに倣って不道徳なことを繰り返す。もちろん、元老院も抗議はするが、元を辿れば、皇帝との協調は元老院自身が望んだことであり、皇帝制度を否定することは、元老院自身にも責任が及んでくることである。それでは、抗議も緩やかなものにならざるをえない。
 ティベリウスの死後、神格化を拒絶したり、クロウディウスが皇帝に就任する際、共和制への復帰を提案してみたりするが、近衛軍団の力を背景にした皇帝権は揺るぎもしない。ようやく、ネロの暴政が行きすぎたときになって、ネロを公敵と宣言することによって、元老院はその存在感を示すことになるが、そこまでが精一杯であった。
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by nogi203 | 2005-02-25 14:49 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第35回 アウグストゥス(尊敬する者)の誕生

 元老院の権威に対抗して、三頭政治というものをやってはみたが、やはり、それだけではローマ帝国を治める政治的権威としては信頼がおけない。第二回目の三頭政治を経験してみたオクタヴィアヌスには、そのことがようく判っていた。
 元老院という古くから存在する政治的権威であればこそ従ってきたのであり、昨日まで対等の地位にあったものが、急に成り上がって、今日からお前達の政治的権威として君臨するなどといわれても、素直には従えないというのもそのとうりであろう。カエサルという独裁者を暗殺しようとした者が入たこと自体が何よりの証拠といえるであろう。
 そのような反省の上にたったオクタヴィアヌスの政治姿勢である。三頭政治に勝ち残った立場であるとはいえ、元老院の協力なくして安定した政治的権威とは成り得ない。そこで、元老院と協調する方針に転換するわけであるが、それは元老院の方でも願っていたことではなかったか。
 その現れは、アウグストゥスという称号を元老院の方から贈ったことではなかろうか。又、オクタヴィアヌスの方でも協調的な意思を示すかのように、皇帝などという称号を用いず、ローマ第一の市民という称号で、元老院の立場に配慮することを忘れなかった。
 こうした関係が成立したとすれば、ローマの治世は万全であるといえようが、ただ、アウグストゥス自身果して絶対の自信をもっていたといえるかどうか。それは、その治世がパンと見世物に代表されるように、市民への迎合に充ちていることから懸念されるところである。生活困窮者に無償で穀物を供給し、イベントとして剣闘士と野獣の戦いをみせるなどという施策は、自身の政治的権威に自信を持てない為政者が、民衆の歓心を買うことによって、政治上の地位を維持しようとしているかにみえる。
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by nogi203 | 2005-02-24 14:05

さあ 世界史を語ろう。 第34回 軍閥の台頭

 ローマの政治的最高権威は元老院にあった。ところが、その政治的権威に従いたくないという者がでてきた。カエサルやポンペイウスなどの軍閥である。元老院に軍閥を押さえる力はないから、軍閥はやりたい放題である。
 カエサルはガリア属州の知事職を民会から受け、征服事業を成功させると、勝手に、征服地で徴収権を行使し始める。それに対して、元老院はポンペイウスを味方につけ、カエサルと対抗させようとするが、カエサルはポンペイウスを破って、元老院を自分の思うままに操作しようとする。 
 共和制は危機に瀕し、遂には、有志がカエサルを暗殺するが、意外にも、ローマ市民は共和制が守られたことに感謝せず、逆に、暗殺者を非難する、これは、カエサルが共和制が抱えていた遊民問題や無産階級への無料食料支援問題を、その独裁権力で解決して見せたことが、ローマ市民の支持を得ていたからと解せるが、こうなると、ローマ共和制の建てなおしは絶望的である。
 その結果、カエサルの遺産を引き継いだ甥のオクタヴィアヌスとカエサルの部下アントニウス、それにレピズスの三人が又もや、元老院の政治的権威を無視するかのごとき三頭政治を始めてしまう。結局、このような政治情況を解決するには、軍閥と元老院が仲直りをするしかないのである。しかし、そのきっかけを見出すのは容易ではない。
 その容易ではないきっかけが、アントニウスがクレオパトラとの情愛におぼれ、ローマをプトレマイオス朝に売るような真似をしたことから生まれることになる。これは、オクタヴィアヌスにも元老院にも、互いに、ローマのためという大義名分のもとに歩み寄る絶好の口実を得たことになったであろう。
 かくして、アントニウス退治という名目で手を組んだ元老院とオクタヴィアムスは、アントニウスを滅ぼし、ここに、元老院と軍閥の対立がもたらしたローマの内乱は、終結をむかえることになったといえようか。
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by nogi203 | 2005-02-23 14:48 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第33回 元老院の政治的権威低下

 ローマの軍隊は元老院の従属下にある。だから、元老院の裁決がなければ、軍を動かすことはできない。しかし、マリウスという軍人は、私兵を養成し、それを属州の反乱鎮圧に使った。私兵であるから、元老院に従属しているわけではなく、元老院の裁決も不要であった。   マリウスの軍功がそのような行動を容認させたのであるが、この私兵がスルラという、より過激な軍人の手に渡ると、スルラは軍をローマ区内に引き入れ、武力で元老院の意思を押さえ込もうとする。しかし、それはまだ、完全に元老院を支配下におこうとしていたわけではない。なぜなら、スルラは護民官の権限を縮小し、元老院の権威を回復しようとする政策もとっているからである。
 しかし、スルラが行ったことは、次の軍の支配者に少なからぬ影響を与える。軍によって元老院の意思決定を左右できるということ、元老院の権威だけが絶対的なものではないこと、そういうことがはっきりと認識されてくると、それを利用しないという方法はない、と考える者がでてくる。野心に満ちたものなら、当然そうした行動に出るであろう。それに民衆の支持が加われば、政治の指導的立場に就くことも不可能ではないであろう。
 そして、それにまず応じたのが、ポンペイスではなかったか。地中海の海賊を退治し、ローマに敵対するミトラダデスを滅ぼし、スパルタカスの残党を全滅させた功績は、ローマ市民の圧倒的な支持を得ることになる。
 海賊胎児の徹底のため、軍の資金、船、兵の使用を元老院からではなく、護民官の提案による民会の決議で与えられることになる。これは、元老院を無視した新しい政治運営であるが、そうした行動に踏み切れるのも、スルラの前例無視という行動を目撃したことの結果ともいえまいか。
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by nogi203 | 2005-02-22 14:51 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第32回 共和制の行き詰まり

 パトリキとブレブスの身分闘争でブレブスが勝利し、ローマの意思決定権を民会を通して掌握することができた。ブレブスとは、当時の中産階級であろう。その中産階級が国家の主体であるうちは、力のバランスのとれた国際関係が望ましかった。しかし、そのうちブレブスの中から中産階級を抜け出し、富裕層になる者が出てくると、富裕層が望むような国際関係を求めてくる。
 さらに、そうした富裕層の中から元老院に加わる者が出てくると、元老院がローマの意思決定に大きな影響力を持つようになってくる。彼らが求めるものは、大規模な農業経営であり、そのための大土地所有とたくさんの奴隷労働力である。その奴隷労働力をより多く獲得するためには、戦争での勝利が必要である。
 こうして、力のバランスのとれた国際関係を望んでいたローマは、新富裕層が国家の主体となることによって、より多くの奴隷を獲得できる拡張政策に方針転換することになる。そのきっかけが、ピドナの戦いであるが、それに続く戦いにおいて、ローマは連戦連勝し、ついにはカルタゴも滅亡に追いこんでいくのである。
 当然、戦勝がもたらす奴隷はローマの富を大きくするが、それは同時に、やがてはローマ市民を増加させる要因となるものでもあった。奴隷にも解放されれば市民権を与えるというのが、それまでの方針であったが、市民の増加は他方では、財政の負担を大きくするものである。増える市民の数と財政の拡大という新たな局面を向かえたローマは、この時、市政の運営、軍事面の改革なども同時に行なったはずである。
 その改革とは、主に、大土地所有を禁止し、独立自営の小農業主を主体とする軍隊への回帰策でなければならいはずであった。しかし、いまや大土地所有者となり、元老院を支配するまでになったブレブス階級は、それらの改革を妨害することになる。
 かくして、グラックス兄弟による改革も失敗することになるが、それは同時に、ローマ共和制の行き詰まりをも意味していたといえるのではなかろうか。
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by nogi203 | 2005-02-21 15:46 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第31回 ローマの課税対策

 ローマはその勢力が拡大していくにつれて、周辺に同盟国を多く抱えることになる。しかし、その同盟内容は課税を求めるというのではなく、戦時において、軍役の負担を求めるという程度に収めていたという。これは、デロス同盟においてアテネが他のポリスに軍役を免除する代わりに、資金拠出を求めていたのとは、まったく反対である。その結果がローマとの道路網の整備という具体的成果につながっていく。

 ハンニバルの戦略の成否は、ローマに占領されたばかりのケルト人が、ローマに反旗をあげ、カルタゴに協力してくれることにあった、とみなしてよかろう。ハンニバルの政治認識では、占領ということについて、固定的な考えしかなかった。つまり、駐兵され、自治を奪われ、課税義務を負わされるという古い占領認識である。
 しかし、ローマの占領政策は違った。駐兵もしない、自治は認める、課税もしない、ただ、戦時において、協同して戦ってくれればよいというものである。こうした対等的な同盟者待遇をされている国に、解放を唱えても協力をえられるはずもない。そうした認識の足りなかったことが、ハンニバルの致命的な戦略的ミスというべきであろうか。
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by nogi203 | 2005-02-20 13:30 | 歴史分析

さあ 世界史を語ろう。 第30回 共和政の発展

 共和政は指導を誤れば、たちまち政権の座から滑り落ちる、というのは自明の理である。そして、指導の失敗は政敵への政権委譲を伴うというのも自明の理である。しかし、それは理屈のうえでは判っていても、実際に実現するというのは難しいこととわねばならない。まして、普通選挙制度が存在しない社会ではなおさらであろう。
 しかし、そのことを実現したのが、ケルト人の侵入によってローマ市が占領、略奪されるという事態を招いた後のローマ市ではなかったか。この事件によって、ローマを政治的に指導してきたパトリキは政治的権威を失い、代わってブレブスが指導権を握り、さらには、ブレブス間での意思決定機関にすぎなかった民会が、それまでの国家的意思決定機関であった兵員会に優越する地位を獲得し、立法機関として確立することになる。
 このように、理論に過ぎなかったことが、具体的な形で実現したところに、ローマ共和政の歴史的意義があると評価できるのではなかろうか。
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by nogi203 | 2005-02-19 15:28 | 歴史分析