日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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横綱の品格。

 大相撲は興行であり,横綱は興行の目玉である。そのことがはっきりしたのは寛政3年(1791)6月、徳川11代将軍家斉の上覧相撲後の江戸市中の評判によってである。その時の模様を松平定信の側近、水野為長がその日記に書きとめている。以下、その文面。
 「世上にては角力、しきりにはやり、小児共まで所々にて角力のまねをいたし候よし、先日の上覧にて、よほど人の元気も出候より、奇妙なものじゃとさた仕候よし」
 「この間中、角力、甚だ不当たり御座候得共、右、しめをはり申し候など評判御座候うて、見物も少しまし候よし」
 しきりにはやり、見物もすこし増したのであるから、上覧相撲効果は確かにあったのである。しかも、その上覧相撲では、しめを張り申し候ことが評判になったのであるから、以後,相撲興行に横綱土俵入りは欠かせないものとなったことがわかる。しかし、明らかなようにここでは横綱は相撲興行上、確かに目玉とはなったが、品格云々などということは問題にもされていない。そのようなものは興行という立場で考えた場合、無用のものでしかない。では、その品格が横綱の要件として求められるようになるのは、何時頃からなのか。
 昭和26年1月、相撲協会は横綱免許を協会主体の免許権として掌握することになる。それまでの免許権者吉田司家は、故実伝承だけを執り行うことになる。協会としては念願の横綱免許権の取得であったが,しかしそれでは、横綱は協会の都合次第で、勝手につくられるかのような疑いをもたれることになりかねない。その疑いを晴らすため、協会は協会から独立した第三者委員会を設け、その委員会の審議を経ることを義務化して横綱の権威を維持することにする。  それが横綱審議会であるが,ただ、審議委員会としても協会の勝手な都合に利用されることは潔しとはしないはずである。ことに審議委員として要請された人達は社会的にも高い地位にある有識者たちばかりであるから、そのへんのことは特にうるさい。そこで協会としても審議委員への着任に際しては細心の注意を払わなければならず,思わず,何か横綱についてご意見がおありでしょうかなどという問いかけを行ったことが想像される。そういうことを聞かれれば、委員会としても協会の操り人形ではないことを示すためにも、何か注文をつけておこうかという気になる。
 その注文が横綱に関することであるならば、当然、内容は横綱の理想像ということになる。横綱の理想像と言えば、当時、審議委員になった人達にはそのモデルが厳然として存在している。いうまでもなく、双葉山である。審議委員に要請された人達はもちろん現役時代の双葉山を見ていた人達である。双葉山は強いばかりでなく、土俵上の立ち居振舞いに神々しいばかりの品格があった。横綱として仰ぎ見るのであればあれほどの品格を求めたいものである、という欲求が審議委員の人々に生まれたとしてもおかしくはない。そこで、せっかくの協会からの問いかけであるから、横綱の条件として力量と共に品格という要件を付け加えた。
 協会としても,ご意見を伺いたいと申し出た以上、品格などと言う条件は困るとは言いにくい。受け入れざるを得ない情況で、品格と言う要件が横綱に求められる条件として加わったのであるが,その品格という要件で、今,朝青龍は窮地に立たされている。
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by nogi203 | 2007-08-13 14:55 | その他
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