二十一ヶ条要求を中国政府につきつけた時、日本は中国大陸で殆どフリーハンドを握っていた。ところが、西原借款なるものを約束することによって、二億円の借款を実施することになると、そのフリーハンドは失われたことになったとみなせるのではないか。そこには、金を貸したという事実が厳然として存在し、その貸した金を何とかしなければならないという政治的負荷がかかることになる。以後の中国政策は、借款を行なったという事実に拘束され、建策も限られたものにならざるをえない。それは、対中国政策のフリーハンドを失ったという意味に他なるまい。
一方、中国としては欧州戦線への参加を要請された見かえりとして、列強から借款を引き出す交渉を行なってきたが、その交渉の過程で、たまたま日本が引っかかってきたという感を抱くのではないか。いわば、この時、中国は借りたものの強味を日本から勝ち取ったということができよう。