マクマホン協定は、キッチナー将軍のアラビア人の要求を認めようという演説に基づいて定められたものである。締結責任者はマクマホンとハシーム家である。公表性に疑問はない。
バルフォア宣言はユダヤ人財閥ロスチャイルドに向けての書簡で述べたものである。これも公表性に問題はない。
二つの協定と宣言の内容には矛盾はあるが、しかし、それは互いに歩み寄ることによって妥協が可能になるものである。そして、それは仲介をする者の力によって、さらに実現可能となるものでもあろう。
しかし、ここに、あらたにサンスコ=ピコ協定なるものの存在が明らかになる。この協定はロシア革命時、ボルシェビキが冬宮を襲った時に発見されたものであるが、存在は秘密にされていたものである。公表性はまったくないのである。
内容としては、イギリスはメソポタミアを支配し、フランスはシリアを支配する、その他イタリア、ロシアにも支配領域を割り当るというものある。イギリス、フランス、イタリア、ロシア、それらの国々はマクマホン協定とバルフォア宣言で明らかになった矛盾の調停者たるべき役割を担うものである。その国々が裏で、このような秘密協定を結んでいたということは、それらの国々を信頼してパレスチナの問題を解決しようとしていたアラブ諸国の信頼を一挙に裏切るものである。
かくして、イギリス、フランス等の国々は調停者としての資格を失うわけであるが、代わりに調停者として登場してきたのがアメリカである。しかし、このアメリカもイスラエルよりの国家であり、とてもアラブ側が信頼できる調停者とはいえない。その結果がアラブとイスラエルの果てしない争いということになるのであるが、その究極の因を探すとすれば、結局は、争いを公平にさばけるアンパイアが不在であるということに尽きる。