連邦制を維持するためなら奴隷制も認めるというのは、ジェファーソンもリンカーンも同じである。しかし、それには大きな妥協が求められることになる。ジェファーソンの時代、その妥協はまだ可能であった。しかし、リンカーンの時代においては、もはやそれは限界にまで来ていたのではないか。リンカーンとしては、ジェファーソンが妥協していなければと言いたいところだあろうが,そのようなことを今更いっても始まらない。妥協が不可能と言うのであれば、何らかの形で決着をつけざるをえない。それが戦争ということになるのであるが,戦争を行なうのであれば、見通しをつけなければならない。その見通しがつくか否かで戦争に踏み切れるか否かが決まる。
リンカーンは北部と南部の社会的な基盤、経済力の差から見て、適切な法整備が整えば,その見通しはつくと判断する。かくして、保護関税法や国立銀行法が成立するが、問題はそうした法整備によって、北部が戦争に勝利したとしても、その結果が連邦のさらなる分裂に発展しては意味はない。
事態の解決が戦争という強圧的な意思の押し付けによって実現したというのであれば、その後の南部に対する配慮はより慎重にならざるをえない。そのリンカーンの配慮を示す意思が明瞭に現れたのが、第2期の大統領就任演説の内容ではあるまいか。即ち、何人にも悪意を抱かず,すべての人に慈悲をもって、着手した事業の完成に努力しようではないか、という呼びかけであるが、これがリンカーンの遺言としかならなかったのは残念というしかない。