イギリスは産業革命期にあり、その内閣はブルジョアジーの支持によって支えられている。一方、フランスは産業革命の始期であり、ナポレオンの政権はブルジョアジーの支持によって支えられている。とすれば、ヨーロッパの市場はイギリスのブルジョアジーとフランスのブルジョアジーによる市場の奪い合いであったという見方もできよう。その場合,イギリスにはイングランド銀行という背景があり,フランスにはフランス銀行という中央銀行が新たに創設されて,その対抗勢力となっている。それは、ヨーロッパ市場の奪い合いというのは、背景ではイングランド銀行とフランス銀行との争いであったという見方もできるということである。
しかし、フランス銀行がこの時,中央銀行としての信用力を備えるには,流通貨幣の裏付けとなる資産の蓄積がなければならなかったはずである。そのような資産を急に積み立てることは相当に困難なことと思われるが,それを可能にしたことこそ、ナポレオンによる戦勝ではなかったか。
即ち,ナポレオンは戦勝によって相手から賠償金を取り、特別に寄付を強要したりして、自分の特別会計に積み立てている。この積み立てた資産こそが、フランス銀行の信用力の背景になってとすれば,まさに、ナポレオンの戦勝こそが、近代フランスの産業資産を形成したといえることになろう。