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日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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さあ 世界史を語ろう。 第172回 平原派とナポレオン

 平原派というのは、王党派と共和派の間で優勢な方についてきた中間派のことである。それが、王党派ことジロンド党が、共和派ことモンターニュ派によって排除され、そのモンターニュ派を今度は平原派自身がテルミドールの反動で排除してしまうと、平原派自らが革命を指導していかなければならなくなる。今まで、主体性をもたなったものが、ここで始めて、主体的に行動しなければならなくなったわけである。
 この時、排除したとはいえ、まだ王党派や共和派の残党が残っていたことは間違いない。平原派が政権を担当しようと決意した裏には、もちろんそうした残党を撃退できるという自信を持っていたのであろうから、その準備も備わっていたものと解せよう。
 その準備として最も重視したのは、いうまでもなく憲法の改正であり、それによって自らの地位を万全しようと企てることになる。しかし、そのことは同時に改正によって不利益を受けるものの反発が予想されることであるから、それを鎮圧する実力も備えておく必要のあることをも意味する。鎮圧する実力あるものは、この場合、軍隊しかないわけであり、平原派はまさに、国民公会を押さえている限り、その軍隊を指揮命令する権限が与えられているといえる。
 かくして、平原派は共和派の反発を押さえることに成功して、いったんは政権を安定化させることにはなるが、しかし、それは共和派の実力が軍の力でも押さえきれる程度のものでしかなかったからであろう。ところが、軍の力が国境で他国との紛争に裂かれ、パリ市内での防備が手薄になると、反対派の抵抗を鎮圧するには手持ちの軍だけでは間に合わなくなってくる。ここに、平原派はせっぱつまった状況に追いこまれ、本来なら、ありえないはずの決断をあえて行なわざるをえないことになる。それこそが、ナポレオン・ボナパルトの起用である。
 ナポレオンはモンターニュ派の後ろ盾で頭角を現し、モンターニュ派の失脚とともに出世コースから外れていた人物である。その人物を反乱王党派の鎮圧に起用するということは、平原派にとって、ある種の賭けでもあろう。モンターニュ派の粛清に憤慨しナポレオンがいつ平原派に大砲の砲口を向けるかわからないのである。その心配は杞憂に終わるが、しかしそのことが逆に、平原派にナポレオンへの借りをつくることになる。以後、革命はナポレオンを中心にして回転していかざるをえなくなる。
by nogi203 | 2005-09-23 14:20 | 歴史分析
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