オスマン1世がオスマン・トルコ帝国建国への道を開いたのは1299年といわれている。それが滅亡するのが第一次世界大戦後の1923年であるから、624年間継続したということである。その間には、バヤジット1世がチムールとの戦いに敗れて滅亡の危機に瀕したことがある、メフメト2世が東ローマ帝国を滅ぼしたこともある、スレイマン大帝がウィーンにまで侵攻したことがある、マフムート2世が中央集権化に成功したこともある。
様々なことが生じはしたが、この間、一貫して揺るがなかったことは地中海の支配権を握っていたことである。この地中海の交易が生み出す付加価値がオスマン・トルコ帝国を支えつづけてきたものとみたい。
オスマン・トルコは地中海貿易を押さえ、インド経由の貿易品に高い関税をかけていたという。その収入がオスマン・トルコを支えたのであろうが、では喜望峰回りのインド航路が発見されたかといって、オスマン・トルコを経由する貿易が衰退したといえるであろうか。かりに、そのことが原因で衰退したとするならば、このあと、オスマン・トルコが20世紀まで続いたことが説明できない。やはり、オスマン・トルコ経由の貿易は継続していたとみるべきで、インド回りの航路と共に並行して貿易路が存続されていたとみるべきであろう。少なくとも、ヨーロッパ諸国のアジア進出にめを奪われ、インド航路のみを過重に評価すのは避けるべきであろう。