朱子学でいうところの修身、斉家、治国、平天下について漢民族は修身、斉家を重視し、治国、平天下については二次的な興味しか示さない。このような民族的特質であると、清朝支配に対しての民族的抵抗を企てようとしても相当に困難なことになる。ことに、呉三桂のごとき、自ら漢民族を裏切るようなことをして、地方政権の王位を認められているような者の企てではなおさらであろう。わずかに、可能であるとすれば、鄭成功のように密貿易を主とした辺境での抵抗以外にはないであろうが、それも民族抵抗として拡大するほどのものではない。
漢民族の民族的特質がそのようなものであれば、清朝支配が安定したものとなるのは、ひとえに支配者側の統治姿勢にかかってくる。そして、そうした情況下に康熙帝が登場する。この康熙帝こそ、まさに、漢民族がその民族的特質上、最も理想と仰ぐ皇帝であろう。
即ち、民衆一人一人としては修身、斉家を実現することを人生の最高の目標とし、その他のことは国家に干渉してほしくない、治国、平天下などといっても、民衆のそうした欲求を満たし上での事でしかないというのが本音であろう。とすれば、そうした欲求が実現されるには、専制独裁君主たる皇帝の人間的資質に期待するしかないのであるが、康熙帝はまさに、そうした期待に完璧に応えてくれる皇帝でではなかろうか。
即ち、康熙帝は朱子学でいうところの聖王たる認識を強烈に自覚し、聖王たるべく自らを律し、常に、民衆の負担を軽減することを念頭において政治を行なう姿勢を崩さない。これなど、政権を蓄財の手段としか利用しない漢民族の王朝より、はるかに優れたものといえよう。
となれば、このように皇帝と民衆が理想的に結ばれた、この時期の清朝支配時代ほど、安定した時代はないことになる。