イギリスでもフランスでも、王権に対してそれぞれに不満を持っていたことは間違いあるまい。当然その不満は、王権に対する戦いとなって現れるわけであるが、戦いの結果がイギリスでは王権を制限する方向に向かい、フランスでは逆に王権が強化される方向に向かうことになる。その違いの原因は、不満を持つ階層側に議会を守るという信念があったか否かというところに帰するのではなかろうか。
イギリスにおいては、貴族、ジェントリー、産業資本家など、それぞれ利害の対立する階層があって、トーリー党とかホイッグ党とかに分裂していたことは事実であろうが、それでも議会を守るという信念においては互いの階層でも共通していであろう。
一方、フランスでも、やはり貴族、高等法院、大衆庶民などと利害の対立する階層があって、それぞれに王権に対して不満をもっていたであろうが、ただ、議会というものに対する概念がイギリスほどには成熟していなかったため、それを守ろうとする信念も固まることがなかったのではなかったか。それもそのはずであって、フランスでは議会というものは、もう百年以上も開かれていなかったのであるから無理もない。
そのような事情であるから、王権からの攻撃に各個撃破されれば、もはや統一的な行動ができず、劣勢が明らかになると、王権に擦り寄って身の保全を図ったりする。これでは、王権を強めるばかりで社会各層の不満は内に閉じ込められたまま、次の時代を迎えねばならないことになってしまう。
結局、議会を守ろうとする信念の有無が両国のその後の運命を分けたということであろうか。