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さあ 世界史を語ろう。 第120回 イギリスの躍進
イギリスは人口350万の小国である。小国が宗教戦争に巻き込まれていては国家としての発展はない、というのがイギリスの基本方針であろう。その基本方針を守ったのがヘンリー8世とエリザベス1世であり、守らなかったのがエドワード6世とメアリー・スチュアートではないか。
ヘンリー8世はキャサリン・アラゴンとの離婚問題でローマ法王庁と対立したが、かといって、プロテスタントを優遇したわけでもない。エリザベス1世はプロテスタントもカソリックも全面的に 否定することなく、両者の立場をそれぞれに配慮した政策で両者を融合させることに成功した。 それにひきかえ、エドワード6世はプロテスタントに偏りすぎ、メアリー・スチュアートに至っては新教徒を虐殺するに至る。その結果、この時期のイギリスは停滞期に入ったと評することが出来よう。 しかし、宗教戦争を回避したからといって、そのことが直接、国家の発展につながるわけではない。やはり、国家の発展につなげるためには、経済的な基盤が築かれなければならない。という意味で、そうした目的を実現するためにヘンリー8世がとった政策が教会財産の没収と没収財産のジェントリー階層への分配ではなかったか。 この政策によって、王権を支える中産階級を形成することが出来たと解することもできようが、ただ、没収財産が教会財産である限り、ローマ法王庁との対立は回避することは出来ない。そこで、ヘンリー8世はローマ法王庁との決別を画策しなければならないわけであるが、直接的な方法では対立は激化しかねない。そこで、スペイン王室から来たキャサリン・アラゴンとの離婚問題をローマ法王庁につきつけ、ローマ法王庁が認めないことを承知のうえで、あえて、結婚の無効を要求する。 案の定、ローマ法王庁は拒絶するが、ヘンリー8世としては、そのようなことは想定済みであり、その拒絶を逆さにとってローマ法王庁との決別を決意し、新たに、イギリス国教会を創立して、教会財産をイギリス国王の管理下におくことに成功する。結局、ヘンリー8世には、財産を得るために宗教問題で争うなどということは愚かなことであるという現実的な考え方があったのであろう。 一方のエリザベス1世も又、経済的な基盤を固め、イギリス経済が自立するための政策には躊躇しない。海賊行為を公認し、当時の世界経済を支配していたスペイン王国の貿易を妨害することによって、相対的な劣位性を挽回することに務める。それは、経済問題がスペインとの戦争にまで発展することはないという女王の深い政治的な読みもあったうえでの公認であったとも推測できるが、ことが、メアリー・スチュアートの政治的亡命という問題が絡んでくると、もはや、そのようなことは許されないと決意させるまでに至る。もちろん、エリザベス1世もそして、イギリス国民もそうした事態はようく承知のうえのことであり、だからこそ、政治的な覚悟としてスペインの無敵艦隊との対決に国民一致団結して臨むことができたといえるのではなかろうか。
by nogi203
| 2005-06-19 13:53
| 歴史分析
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