レオナルド・ダ・ヴィンチは画家としての名声を残しているが、彼ほどの天才であっても、始めから独立した画家として生計を立てていくことは難しい。いかにその才能がすばらしかったとしても、画を眺めているだけでは空腹は満たせないのであるから、社会が生存の具として画を求めるということはありえない。所詮、趣味,鑑賞の具としての評価しか与えられなかったとしても致し方のないところである。
しかし、いかに趣味、鑑賞の具としての評価しかされないとしても、捨て去ってしまうには惜しい。とすると、趣味、鑑賞の地位に甘んじながらも、画を描きつづけるためには、生計を維持する手段を身につけておかねばならないということになろう。そこで、ダヴィンチとしても、自らをパトロンに売り込むための技術が必要となる。
当時、パトロンとして財力をもつものとしては封建君主しかない。とすれば、ダヴィンチが売り込める技術も封建領主が求めるものでしかない。封建領主が求めるものとは、ずばり、戦争に役立つものであろう。だからこそ、ダヴィンチは大砲の製造技術や城の築城技術も考案しなければならなかった。
こうしたことは現代にも通用することであろう。趣味、道楽で生計を立てられればよいが、そこまでいくには歳月がかかる。世間がその才能を認めるまでには、ダヴィンチが経験したことと同じことを経験しなければならないであろう。