鉄は国家なりという。鉄の生産は国家の盛衰を決定付ける。しかし、その鉄を精錬するには熱源が必要となる。ということは、熱源を確保できるか否かが鉄の生産力向上に決定的な要因となることになる。ということで、その熱源であるが、宋代中国においては石炭を熱源として活用する方法を実用化することに成功する。その結果が東方文化の西方文化への圧倒であり、中国は宋が滅亡し、元の時代になっても、なお、世界の文明の中心地としての地位を守ることになる。
ただ、ここで問題は中国ではその文明創造の根源を科学的な探求に向けることなく、単なる経験則による知恵に求めたことではなかろうか。経験則による知恵も有益ではあろうが、普遍的な結論を導き出すには歳月がかかりすぎる。諸色の価格が長期的に安定している時期にはそれでもよいかもしれないが、大きな変動に見舞われる時期には、それでは、市場における商品化と利潤獲得の機会を永遠に失ってしまう。そこはやはり、原理、原則を科学的に探求することにより、発見した真理を生産に結びつけていく方が、はるかに効率的であるというべきであろう。産業の近代化において、中国がヨーロッパに遅れをとった原因を辿ってみれば、そこにはやはりそれ相応の理由があったとみるべきである。
しかも、中国の鉄の精錬技術は機械の製造に向かうと言うのではなく、黄銅鉱から硫黄を分離するために使われたとか、磁器の製造に使われたなどと、鉄本来の用途からかけ離れた分野で多く使われたことに問題があったといわねばならない。これでは、とても鉄は国家とはなりえない。