日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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大相撲と暴力団。

 大相撲と暴力団の関係は根が深い。その根っこをたどってみる。
 大正14年4月29日、摂政宮(後の昭和天皇)24歳の誕生日、赤坂の東宮御所に大相撲を招き、台覧相撲を催す。この時、宮内省から東京相撲協会に莫大な金一封が下賜される。東京相撲協会は、その下賜金で優勝賜杯を作成。現在の天皇賜盃である。
 時に、相撲協会は東京と大阪に分かれていたが、東京相撲協会は賜杯を東京だけで独占するのは畏れ多いと、大阪方に大同団結を呼びかける。吸収合併されるのなら、面子が立たないと拒絶していた大阪方も、そういうことならばと呼びかけに応ずることになる。
 こうして、東西相撲協会は合併し、大正14年12月28日、財団法人大日本相撲協会が誕生したのであった。しかし、問題がなかったわけではない。それは大阪方の年寄衆(大阪では頭取と称した)の半ばまでが侠客の親分衆であったことだ。現在でいえば、暴力団の親分衆である。東西合併ということは、これら親分衆まで協会内に取りこんでしまったことになる。しかし、財団法人として認められたものが、これでは好ましくない。そこで、寄付行為施行細則で一定の条件を満たした力士でないと年寄にはなれないということを規定したが、しかし、それで侠客の親分衆との関係が断ち切れたとは思えない。その後も、何らかの関係が続いてものと見るのが妥当ではないか。もちろん、警察は情報を把握し、警戒は続けていたであろうが、警戒の目は光らせていたとしても、相撲協会にはこの時、天皇賜盃が保有されていた。しかも、その初代会長には福田雅太郎陸軍大将が就いていた。これでは、警察は手を出すことはできない。
 このような関係は、他の面にも現れる。例えば、山口組2代目山口登と交友関係にあった横綱玉錦時代のニ所ノ関部屋である。後援会名誉会長は近衛文麿、会長は司法大臣塩野季彦である。警察が干渉などできるわけがない。暴力団は相撲協会内に隠然たる影響力を保持することが可能であったろう。
 戦後になっても、相撲協会は天皇賜杯を保持したままであった。そのうえ、昭和天皇は大相撲の大愛好家であり、戦前なら叶わなかった国技館への相撲見物にも足を運ぶようになる。これでは、警察は手は出しづらい。大相撲と暴力団の関係はうすうす感づきながらも、見て見ぬ振りをするしかない。
 そうなると、力士の方も警察が何も言わないならと、次第に規範意識が薄くなっていく。花札、麻雀博打は当然のこと、遂には暴力団が取り仕切る野球賭博にまで手を出して、今日に到るということになる。博打に手を染める力士はもちろん責められるべきであるが、暴力団の徘徊を放置してきた警察にも、一片の責任を感じざるを得ない。
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by nogi203 | 2010-06-22 15:07 | その他
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