日々の出来事から、思ったこと、感じたことを綴らせてもらいます。
by nogi203
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玉錦。

 玉錦という力士がいた。第32代横綱である。
 昭和5年10月、玉錦、9勝2敗で優勝 (当時、年4場所、1場所11日制)
 続いて昭和6年1月 玉錦、10勝1敗で優勝。
 さらに昭和6年3月 玉錦、10勝1敗で優勝。
 3場所連続優勝である。
 当時、横綱昇進の基準は2場所連続全勝優勝、もしくは3場所連続優勝であったという。玉錦は昇進基準を満たしていた。しかし、翌昭和6年5月、玉錦は大関に据え置かれたままであった。理由は山口組2代目山口登との交友関係であったという。なにしろ、義兄弟の契りまで結んでいたという。このことから見ると、当時から既に、反社会的な団体との係わりが問題視されていたということであろう。
 ではその後、反社会的団体との関係はどうなったのか。それを、玉錦のその後から見てみると、玉錦は結局、昭和7年10月に横綱免許を受け、翌昭和8年1月場所から横綱を張っている。山口組との関係がどうなったは明らかではない。横綱昇進を数場所見送ったということで、処分は済んだということにしたのか。それではあまりにも甘すぎるというのは誰しも思うところである。
 こうした甘すぎる処分というのは、その後相撲協会の慣行として定着する。今日、野球賭博をめぐる相撲協会の対応はまさしく、そうした慣行の現われに他ならない。
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by nogi203 | 2010-06-18 14:08 | その他
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