国王が国事行為を一方的に決めるのは困る、我々の意見を聞いてからにしてもらいたい、というのがマグナカルタの言いたいことであろう。そして、そうした合意から意見をまとめる為の場の設置が要請されることになる。かくして、議会の原型が形成されることになるが、この時点においては、まだ守られたのは封建領主の権利であるにすぎない。
しかし、封建領主の権利が守られたのであれば、我々の権利も守られるべきだと考えるものも当然でてくることになる。その我々とは市民であり、農民であり、一般国民といわれる人々であるとすれば、国王はそれらの人々からの要求にも応えなければならないということになろう。その際、政府としての国王の役割が公共の福祉に勤めるものとされればなおさらである。
かくして、国民主権への突破口が開かれるわけであるが、それにはまず、その前提として、議会による法律の制定と制定された法律の下には国王といえども従わなければならないという社会的合意が形成されることが必要である。
そして、イングランドのこの時代、つまり、ジェントリー層が中産階級として形成されつつあった、ジョン王からヘンリー二世、そしてエドワード一世の時代こそ、そうした合意が形成された時代といえるのではなかろうか。